シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

何故こんなことを勉強するんだと子供は考えるが大人になると何故あの時勉強しなかったんだと後悔する

僕はあまり勉強が好きではなかった。中学1年生くらいはしたから数えた方が、早いくらいの成績だった。運動をしたり、虫を捕まえにいったり、犬と遊び回ったりする方が好きな平凡な子供だった。

 

ごたぶんにもれず、なんで勉強をする必要があるのか、社会の生産量をしったり、地理を学ぶことになんの意味があるのかということを考えもしなかった。授業は事実を大量にインプットし、覚えることを強要するが、なぜそれを知る必要があるのかには答えない。

 

何故に答えてくれるのは化学、数学、理科だった。そして哲学だ。そのためそれらの成績は良かった。なぜその現象が発生するのか、なぜ宇宙はあるのかもっぱらそういうことを妄想しては日々を過ごす少年だった。

 

僕は記憶力が良い方だったので、特に年号を覚えるのが好きだった。無駄にたくさんの年号を覚えていた。何故その年号を覚えることに意味があるのかは考えてなかった。そのため、今となっては思い出すことは出来ない。

 

漢字が好きだった。漢字は意味を表す部首と音を表す部分で成り立っている。そのためこれも無駄に部首をたくさん覚えて、その組み合わせから漢字の意味を妄想するのが好きだった。

 

僕は何故それを学ぶ必要があるのか、将来なんのためになるのか、世の中にはどんな問題がなぜ起きているのかを考えることなしに、ひたすら暗記するような勉強の仕方をしていた。そのため応用問題に弱かった記憶がある。パターンから外れると、どう考えたら良いかわからないんだ。そのため、深く物事を考えたりも出来なかったと思う。

 

今になって思うのだ。当時僕が社会のこと、性差のこと、経済のこと、科学のことをより深く、周りのことや成績を気にすることなく目的意識を持って学んでいたら違ったのではないかと。

 

当時から環境問題は話題になっていたし、パソコンの話も出ていた。それらは今や世の中の主流となり、全力で人類が解決しなくてはいけない問題になっているし、最先端を担っている。僕は大人からの情報をうのみにし、自ら考えることを放棄していたんだと思う。

 

だから、世の中の若者達に伝えたいんだ。何かを学ぶ時は目的意識を持つことが大切だ。今はネットで調べれば様々なことがわかる。ネットを出発点とし、何故その問題が起きていて、どうやったら解決できそうかを、自分で考えるんだ。これは、本には書かれていないし、必ずしも本が正しい訳ではない。自らの答えを出すことが大切だ。

 

その問題点を解決するために勉強をする。いっぱい学べば、より大きな問題に気付けるようになる。そのためには莫大な知識や、考え方を理解する必要がある。さいころに考えていた問題は残念ながら、上澄みに過ぎない。であるから、大人に議論を挑み、話し合うべきだ。いっぱい何故を問おう。

 

問題の答えは、正論ではない。世の中の常識とか、暗黙の了解だとかいうやつは都合だ。大人の都合である。そうではなくて、必ずそうは言ってもそんなこと出来ないという人や、出来ないことがたくさんある。本当にたくさんある。たくさんは正論に隠されて、見えなくされてしまう。

 

そのたくさんの隠された本当の問題にいっぱい触れるべきだ。そうすれば自然と考えるようになり、解決するための勉強をするだろう。問題を解決する手段は無数にある。でも、根本的な解決を図れるのはほんのひと握りだ。それを見つけ出すには、様々な知識が必要になるし、様々な視点が必要になる。だから、小さい時には色んなことを学ぶんだ。将来問題を解く時に色んなアプローチを取れるように。意外なところから、問題は解決される。

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。