シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

失敗の恐怖も成功の栄光も全て足枷灰になれ

僕は失敗を恐れる。失敗を恐れるあまり、身体が強ばり、新しいことを始められない。新しいことは余計なコストがかかるとか、方針に合わないとかいいわけが始まり、何故やらないのかをとうとうと述べ、自分がいかにやらないことが賢い選択であるかを正当化する。新しいことをやるネガティブな部分のみをクローズアップし、成功した場合のメリットはわからないといって考えない。ネガティブがでるのだから、メリットぐらい出るはずだ。出す気がないのだ。やる気もない。

 

失敗することで、学べることは多くの先達が語っている。むしろ失敗を推奨している。失敗は行動の先にあるからだ。行動することで、新たな地平線をみつけることができる。地平線が見えていれば、例え失敗したとしても、何かしら学ぶことができる。学ぶことができれば、次がある。逆に停滞しているというのは実は退化している。周りの成長に取り残されるからだ。

 

失敗は恐ろしいもので、何かを失うかもしれないが、必ず新しいものを得ることが出来る。それは失敗しないで留まるよりも、価値の高いものが得られる。むしろ新しいことは、失敗からしかスタートしない。失敗してはじめて方向を修正し、成功への架け橋を渡すことが可能になる。成功する手段がまったくわからないためだ。むしろ新しいことをやったのに成功した場合は、天才か、新しくなかったかのどちらかだろう。

 

もうひとつ別の話をしよう。成功は忘れるべきだ。成功した経験は一切合切火にくべて灰にしてしまえ。成功は目を曇らせる。輝かしいかつての栄光に執着し、新しい方向に進めなくなる可能性を秘めている。同じ手法に執着したり、似た様なものを作り出しても全くの徒労である。かつて自分で生み出したものを再編集しているに過ぎない。

 

すでに成功は白骨化している。同じ手は通用しない。同じ手法を使ってくる相手はごまんといる。うまくいったと思うのは、幻想である。自己満足し、自分に酔っている。酩酊しているのは自分だけだ。輝かしいかつての成功体験が忘れられず、新しい学びの機会を逃す。

 

僕がそうだったように、かつては成功し、自分の成功が理解されていないか、正当に評価されてないのではないかと疑う。視野は狭くなり、頭が痛くなる。どうにか成功した手法と道筋を実現できないかこだわる。害悪でしかないし、リソース不足にも陥る。新しいことに手が出せなくなる。時間と金銭余裕がないため、また同じ手に執着する。悪循環のはじまりはじまり。めでたく魔王は世界を征服しました。こうなると、何か別の手を使って脱出するしかない。

 

脱出に1番簡単なのは、誰かの意見を聞くことだ。まずは自分との違いを理解し、逆上せずにその人が何を伝えようとしているのかを額面どおり受け取る。余計な解釈や、言葉のいい替えは、自己都合の良い考えにつくり替えている可能性に注意する。言われたことをそのまま受け入れ、悪循環からの脱出をはかる。何かを変えることができるのは、自分と自分を取り巻く環境だけだ。これはいろいろな書物で、よく言われている。

 

繰り返しになるが、失敗を恐れてはいけない。行動し、失敗した先に未来がある。成功は全て火にくべて灰にしろ。その成功はいまでは全くの無価値だ。忘れて新しいことにリソースと資金を割くべきだ。

 

そうすれば僕は全てから解き放たれて再び自由に戻れる。

 

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。