シン・春夏冬広場

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【書評】「役に立たない」科学が役に立つ

 

 

IT技術が台頭するようになり、企業間の競争は激化の一途をたどっている。常に競争することが求められ、失敗など許されなくなってきた。利益を最大にすることが常に求められ、不要な研究は削除の一途をたどっている。「事業仕分け」は一定の理解をもたらしたが、同時に有用なものまで削除の対象になってしまった。体質の腐敗による税金の無駄遣いは問題であるが、成果が出しにくい分野での予算の枯渇は深刻である。

 

目的や達成するものが明確でないと、取り組むことを拒否する傾向にあるというのがZ世代であると聞く。飲み会や会合に意味を求め、最大限の利益を享受することで、生活が豊かになると考えているのだろう。あるいは世間がいうほど、そういった傾向はないのかもしれないが、失敗だけが人生だ。失敗や無駄が自分を形作る。人生は無駄と失敗の連続だ。自分の成功の歴史など、片手で足りる程度だが、失敗はキリがない。自らの失敗と無駄の歴史の厚みが人生となって刻まれているのである。今も無駄な文章を書いている。

 

知的好奇心がもたらした恩恵

僕らの生活の中で、偶然の発見や、無駄と思われていたことが役にたっているものとは何だろうか。皆さんはPCR検査をご存じだろうか。バカにしているわけではない。PCR検査というのはまさしく偶然の発見がもたらした検査である。家は生態系の中で紹介されているのだが、まさしく「役に立たない科学」が役に立つの主張したい好例だと思うため、紹介したい。

 

DNAとは、僕らの遺伝情報が詰まった細胞の核に含まれる重要な器官だ。DNAを培養するにはパイプラインという作業とシークエンシングという作業が必要になる。シークエンシングの作業が最も大変なのである。シークエンシングはDNAの配列を読み取る作業だ。塩基配列を読み取るにはDNAを一度ほどいて、培養する必要がある。DNAをほどくには、高温環境を作り出す必要がある。DNAを培養するにはポリメラーゼ、プライマー、ヌクレオチドが必要だ。このポリメラーゼが高温環境下で破壊されてしまうため、加熱のたびにポリメラーゼを補填するという手法がとられてきた。時間も費用も掛かる方法だったのである。

 

この問題を解決したのは、テルム・アクウァーティクスという間欠泉に生息する微生物である。発見したのは、ブロックという科学者だ。現在では、火山活動をしている間欠泉周りに生物が存在していることは知られているが、当時は間欠泉に生物が存在していることすら、まったく知られていなかった。その間欠泉を調査し、発見された微生物の中に、テルム・アクウァーティクスが含まれていたのである。

 

テルム・アクウァーティクスのポリメラーゼは、高温環境下でも安定している。そのためDNA解析に進歩をもたらし、熱耐性ポリメラーゼを用いたDNAを複製する方法はそれ以来PCR【ポリメラーゼ連鎖反応】法と名付けられた。僕らは間欠泉の調査の結果、DNAを解析する手法を手に入れたのである。こればかりは全く想像できるものではない。そもそも間欠泉に生物がいることすらわからなかったのだから。まさに役に立たない科学が役に立った瞬間だったに違いない。

 

本書が主張すること

「役に立たない科学」が役に立つの著者であるフレクスナーが主張したいのは、革新的なアイデアや技術の妨げとなる心の壁を打ち破ることが出来るのは、少々の幸運に助けられた好奇心だけだといいたいのである。現在はパブリック・アカウンタビリティ【社会への説明責任】を求められる文化が広がった。そのため失敗は許容されにくくなり、損をするリスクが減ったが、同時に得をする可能性も減ったと考えられている。『出口戦略』という言葉の通り、多くの大学では、産業に直結する研究が重視されるようになり、基礎研究はおろそかになっている。

 

僕はこの問題に対して明確な答えを持ち合わせていない。企業は利益をあげることを重視される。株主は利益をあげている企業の将来性を見込んで、投資を行うわけである。利益をあげていないのに、基礎研究をすることはできない。ただ、基礎研究をしないといずれ企業の企業らしさというものは失われてしまう。そうなると、結果将来的には利益を出せない企業になるということである。基礎研究を行うことは大切だが、重視しすぎることはできないのである。そのため企業としては生存戦略の中で、行うべき基礎研究とは何か。企業らしさを失わないための、基礎研究とは何かを常に問わないといけない。基礎研究とは、将来の飯のタネだ。残念ながら本書が主張するような、将来的にどういった利益があるかはわからないが、優秀な人間が集まっているので、金をくださいという主張を受け入れることはできないのである。学生時代に、基礎研究を行ってきた身の上としては、なんとも世知辛い話であるが、今後も議論と検討を重ねていく以外方法を思いつかない。

 

しかし、日本において最も重要なのは法整備だろう。Winny事件が最も記憶に新しい。日本はこの事件をきっかけとして、ソフトウェア開発者を大量に失ってしまった。あるものは海外に逃げ出し、あるものはソフトウェアを開発しなくなった。日本はとにかく科学特にスタートアップに対する壁が大きい。法律が厳格すぎるし、なんでもかんでも取り締まりすぎだ。日本人が生真面目で、何かを遵守することに並々ならぬ情熱を傾ける一方で、八百万に代表されるようにもっと寛容だった気がするが、そうした良い文化はいつのまにか失われ、挑戦しにくい環境、挑戦者をさげすむ文化に成り下がってしまった。日本は変わらなければならない。何かに挑戦するときは、失敗からしか始まることができない。なぜなら成功した姿がどうなっているかなど、誰も想像することはできないからだ。失敗して初めて成功した姿を目にすることが出来るのである。

最後に

美輪明宏さんが、シャンソン歌手の女性にかけた言葉が非常に印象的であった。美輪明宏さんはシャンソン歌手で、弟を育てるために音大をやめ、銀パリで歌手として働いていた。当時は三島由紀夫川端康成など名だたる文豪が店を訪れていたと聞く。おそらくその中には、江戸川乱歩もいたのではないかと考えている。彼女はその中からスターダムへとのし上がっていくのだが、世間は冷たくジェンダーや同性愛者に対する理解が乏しいせいで、表舞台から消えてしまう。

 

再び脚光を浴びるようになったのが、ヨイトマケの歌である。炭鉱夫の生活を歌詞にしたもので、重厚な音の中で母親と子供の回想が歌詞となって流れる。非常に印象的で、コンサートで聞いて以来ずっと聞いているのだが、これも土方【どかた】という言葉を利用していたがために再び表舞台から姿を消してしまう。「愛の賛歌」で脚光を浴びた美輪さんであるが、このように他人から見ると大変な苦労をされてきた。しかし、彼女は同じように悩むシャンソン歌手の女性に伝えるのである。その苦労があなたのシャンソン歌手としての深みを与えるのよと。普通に生きた人間から出てくる言葉ではない。普通の人間なら歌手になるのにこだわらず夢をあきらめよだろう。彼女にしか紡げない言葉だった。

 

人生は失敗と遠回りの連続だ。それを楽しめる人が、人生を楽しめる人なのである。

 

参考文献

 

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。