シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

漫画であからさまなパクリがあるとなえる

僕の好きだった漫画があったんだ。タイトルは伏せるが、内容を読んでるとこれはやっちまってるなって。明らかにわかる。作者とシーンが違うだけで内容は全くおんなじ。でもこの問題ってすっごく難しいなって読んでいて感じたんだ。

 

完璧なオリジナルって正直この世に存在しないと思う。だからどこか既視感があるのは仕方がない。でも、シーンがまるっきり同じ状況で、リスペクトしているっていうのがわからない状態で、その手の話をやるってなんだか違う気がする。ルール違反を犯しているんではないかってパクリなんではないかって感じている。

 

最近異世界転生物が増えている。小説家になろうが原作なのかもしれないが、あまりにも似たような作品が多くて、正直何がなんだかわからない。互いに互いのネタを使いあうっていうのが文化なのかもしれないが、ネタを共有しすぎてほとんどある作品で出てきたものが別の作品でも使いまわされている。例を挙げると千歯こき。紙。ポンプ型の井戸。必ず異世界転生で一財産あげる際に出てくる。画期的だよ確かに。でもあっちの世界でも、こっちの世界でも、あそこの世界でもみんな同じ。作者と漫画家が違うだけで、同じ作品を読んでるかのような既視感。がっかりしてしまう。

 

でもなんで、ポプテピピックケロロ軍曹は許せて、この手の作品は許せないんだろうって考えてみた。思うに、ポプテピピックケロロ軍曹はリスペクトやオマージュする作品に対して、これからこの作品を真似しますよとか、この作品を真似してますよっていうのがあからさまにしかし、通にしかわからないように表現されている。ほかの作品だって、かめはめ波は辞めろとか、波動拳は辞めろとかその作品を代表するような出来事にはほとんど出展元がわかるようにしているから、その作品への作者の愛とかリスペクトを感じて、許されているんだと思う。2次創作だって同じなんだと思う。出展元が明らかで、気になったら簡単にたどり着ける作者のリスペクトや愛が感じられるからオマージュとあからさまにわかっても許されるんだろう。同人誌をパクリだという人はほとんどいないと思う。

 

だけど、最近の異世界転生ものは違う。あきらかに誰かのネタを出展元を明らかにせずに、さも自分が考えましたと言わんばかりにネタを展開している。正直作っている側はこの際関係ないと思う。作っている側はあの人のネタ楽しいからリスペクトしようとか、このネタ使ってもらって嬉しいとかあるのかもしれないが、商業的に稼いでいるならそれはどうかなと思う。誰かが時間をかけて考えて調べたものを、何の気もなしに使っているのかもしれないが、はっきりいってそういったものが許される世の中が気持ちの悪いものに感じてしまう。誰かが自分の人生をかけて、頑張って調べて、このネタ使えるかもって練り上げたものなんだ。それを勝手に自分のものにするのに違和感がある。

 

何かのネタや技術を考えた時って、その人の人生だとか背景だとかがその内容に盛り込まれている。相当な時間をかけて内容を練り上げて調べ上げて、かつ絶妙のタイミングで表現できるように編み込むようにして作品を作り上げているんだと思う。そうしたものを出展元を明らかにせずに、使いまわすっていうのが、たとえ共有化が進んだ世の中となっても許されていいものなのだろうか。

 

著作権フリーの共有財産として、登録しているのと違うんだ。プログラミングの中であるもともとフリーの著作権を目指したLinuxとかPythonとかそういったものとは違う。著作権が認められているものに対して、あからさまにそれを真似してよいと許されている現状が違う気がする。でも自分の中で矛盾しているのもわかっている。2次創作だっておなじではないかと。わかってはいるんだが、なんか違う気がして気持ち悪い。どうやって整理したらいいのか自分の中でもわからないけども、正直最近の異世界転生ものの気持ち悪さがなんだかほっといていいものなのかどうかわからない自分がいるんだ。悩ましい。

 

※テンプレの概念は理解している。最近の転生者の潮流として人類の共有財産であるところの、農業改革、住民票の管理による税制改革、簿記による帳簿の改革というものは温故知新なところもあるので、まぁ許せる。そのうち東インド会社の株式の概念なんかも使われることだろう。そういった一般的な知識はいいとは思うんだが、あまりにも同じに見える。そして、わかりにくくて申し訳ないが、今回のぱくりポイントはまた若干違う。有名な漫画の戦闘シーンの某軍師の攻城方法をオマージュ?していると思われるが、いやいやいやという感じだったので、書いてしまった。

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。