シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

自己紹介を済ませていなかった気がする

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

僕という人間がどういう感じのやつで、それが周りには伝わっていない気がする。正直どうでもいいと思うが、自分が存在する軌跡を残す意味では、一歩ずつこういったものを行うのが一番いいと思う。

 

なんでもかんでも難しいようなそうでないような感じがブログから伝わってしまっていることだろう。暇つぶしの余興だと思って読んでやってほしい。ね。よろしくお願いいたしますよ?

 

 

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

ブログ名の由来は春夏冬二升五合だ。読み方は「商いますます繁盛」と読む。秋がない=商い、升升でますます、半升=5合ではんじょうと読む。それをもじって飽きが来ないブログという願いを込めてつけた。シンとついているのは、エヴァンゲリオンをもじっている。WordPressで頑張っていたんだが、名前は同じだった。人が全然集まらなかったので、新しく作ったんだという意味を付けてシンとした。

 

ハンドルネームは月ノ下扉だ。一見してなんのことを言っているのかわからないだろう。しかしこれにもきちんと意味がある。プロフィールで説明しているんだが、泉に移り込んだ月に扉があり、その扉を一生懸命開こうとやっきになっているという意味だ。僕は常にその扉をこじ開けたいと願っている。だけれども、水面に移った扉はちょっとした外界からの外乱でうまく開くことが出来ない。そんな心象風景を表しているのが、月ノ下扉に込められている。

 

アイコンの青い兎にも意味がある。僕は常に憂鬱だ。英語でBlueという。そして極度のさみしがりだ。それは兎によくみられる特徴だという。BlueBunnyで青い兎なのである。

 

はてなブログを始めたきっかけは?

こちらに関しては2つ理由がある。僕はどうやったら、現状の僕という存在が、世の中の役に立つのか、僕という人間が、存在が確かにこの世に存在していたのだという軌跡を残したかった。直接役に立ったという確かな証が欲しかったんだ。僕は技術職で、僕の作ったものを利用する人の感想や感謝や怒りの感情というものを直接には受け取れない立場にいる。

 

しかしながら、僕はダイレクトに僕の作ったもの、僕の考えたことを受け取って、批判にしろ、感謝にしろ伝えてほしかった。これは常々どうしたらそういった感想なりを入手できるのだろうと考えていた。それを叶える手段として考えたのがブログだった。ブログで僕の発信する情報を受け取った読者がなにか救われたり、助かったりして、もしくは何かを考えるきっかけを受け取って、僕を感謝するなり、批判するなり、アドバイスするなりしてくれるのではないかと期待していた。はてなブログはそんな僕の願いを確かにかなえてくれている。

 

なぜそんなことを考えたのかというと、個人的な見解になるのだが、情報には2種類存在すると考えていたからだ。1つは加工の入った情報、もう1つは生の情報だ。僕は生の情報が欲しかった。生の情報というのはノイズ交じりでわかりにくいものかもしれないが、本当の問題が潜んでいる。何に対して不満を持っているか、何が世の中の問題であるのかを明らかにしたかった。そのため加工の入ってない生の最速の情報を入手したかった。加工が入ると遅くなり、言葉を選び、本当の意味での問題や課題はなりを潜める。そういったものは誰でも入手可能だし、正直わかり切ったものだと思う。地球温暖化やSDG’S、ジェンダーや人口といったものが、わかりやすいだろう。そうではなくって、生の叫びを僕は感じたい。そういった叫びのような切実な願いを入手するためにブログをはじめていた。なので、批判でもなんでもいいので、コメントください。

 

さて、ながくなったが、もう1つの話をしよう。なぜブログだったのかということだ。Youtubeなり何か方法が別にあったのではないかということだ。僕は動画を否定する。文章なり、文字列でないと、詳細な説明、切実な願いは表現できないし、動画は遅い。メディアとして遅いのは最悪だ。必要な情報を必要なタイミングで、入手できる。そうした強さはブログにしかない。そして、詳細な表現はテキストでしか、結局はできないのだ。だから僕はブログを選んだ。Youtubeは楽しい。Youtubeは僕にとってはエンタメだし、すでにある情報の入手先といったところだ。Youtubeを否定したいわけではなかった。目的が違った。ただそれだけのことなのだ。

 

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

www.akinaihiroba.com

 

これはブロガーバトンでも紹介したとおりだ。僕は僕という存在を否定する。僕という存在が何のために存在しているのか、そして何を得たのかなんの役に立ったのかを気にしている。そのため、ゼロからスタートし、問題を解決しながら、新たなことに挑戦したこの記事は僕にとって必要なエッセンスを含んでいると考えている。僕は諦めが悪いし、しつこい。うまくいくまでやるそれが僕であるということが、よく表れているものだと思う。

ブログを書きたくなるのはどんなとき?

あまり法則性がない。義務的にやらなければならない状態からの脱却をはかりたいとは考えている。誰もそんなことを望んでいないのにやらなければならないというよくわからないバイアスに縛られている。なんでだろう。不思議。

 

ブログは義務的にやらねばと考えるときもあれば、こういったものが望まれるかもとおもいたって書くときもある。そして、不思議なのだが本を読んでインプットして、アウトプットしたそのすぐ後にこんなの面白いかもとテーマを思いつくこともある。ゴーストがささやいているのだろう。

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

現状30記事程下書きに保存されている。すでに書き終えているものだ。僕は締め切りが苦手なので、締め切りに追われないようにできる限り貯金をしている。貯金が切れたら毎日更新されなくなる。基本的には流行り廃りとは関係のないグルメ系の記事になっている。

 

そのため流行りの速度が必要なブログを書いた際には日付を調整して、先出しするようにしている。

自分の記事を読み返すことはある?

自分の記事を読み返すことはままある。特に戯言のカテゴリーは読み返す。グルメ系は店が閉店していたりした場合に更新する。戯言はオピニオン系だ。そのため、自分が過去に何を考えていたのか、今後どういったことを考えていくべきなのかということの道しるべになっている。昨日の自分は他人だ。過去の自分の記事から学べることは多々ある。

好きなはてなブロガーは?

フミコフミオさんだ。後は骨しゃぶりさんだろう。熊代先生のブログもよく読んでいる。ようするにミーハーなんだ。なので、増田文学などをもう少しあさってみたいなとは常々思っている。

 

ここに召喚するのは、ブコメなどを期待しているようで嫌なのでしないが、フミコフミオさんは社会人としての社会的問題点を、熊代先生は心理学者としての社会問題をそれぞれの視点で描いている。そのため僕が欲しかった生の社会をしる手掛かりになっている。

 

骨しゃぶりさんはまた全然カテゴリーが違うような気がする。書評の先生としていつも拝見している。書評とアニメ、漫画を関連付けたオリジナリティあふれる作品が非常に面白い。

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

ブックマークされた記事が検索しやすくなればいいなと思う。自分のブログを探したいわけではなく、ほかの人がどんなことを書いているのかを注目されているものだけではなく、発掘したいなと思う。

10年前は何してた?

ヨルシカの歌詞にあるとおり、何もしてない。学生をしていた。ぬくぬくと親のすねをかじって、自分で何か問題意識を持ちながら、何かをなそうとはしていなかった。恥じ入るばかりだ。学生なりに何かをなそうとしていたんだと思う。しかし、それは社会に出てからはなんて甘いことを、そしてそれほど意味のないことをしていたのかと考えることがある。

 

ただ、その意味のないことの積み重ねが自分を形成しているほかの人とは違うことなんだろうと考えることもあるので、なんでもかんでも卑下することもないなと考えている。

この10年を一言でまとめると?

社会に出て、社会の荒波にもまれ、ようやく何をしなければいけないのかを考え始めた。まだ道の途中だ。

 

ただ、このお堅い語り口をよりマイルドな感じにしていきたいな。辛口のがちがちのカレーよりも、適当に作った給食のカレーの方が毎日食べたいものだ。ようするに毎日読みたくなるようなブログじゃないんだな。

 

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。