シン・春夏冬広場

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【書評】僕はムラへの通行手形として個性を差し出し「コンビニ人間」になった

 

 

小さい頃の僕は他人に興味がなかった。なぜみんなは群れて、集まって自分の時間を他人に捧げているのか理解できなかった。友人と呼べるものがおらず、犬と遊んだり、自分の世界に閉じこもるのが好きだった。自分の世界を自由に探索し、粘土遊びに興じたり、絵を一日中書いていたりした。近所の土管を探検し、カマドウマを見つけてはきめぇって一人ではしゃいでいた。寂しさもなかったし、誰からの評価も必要とはしなかった。犬と一緒に遊び、自分がやりたいことをできていれば、それ以外は必要なかった。

 

友達というものが必要であると知ったのは、小学生の修学旅行だったと思う。僕は成績は良かったけども、友達付き合いというものをほとんどしてこなかったため、村八分の状態だった。その時僕は愕然としたんだ。クラスの好きな子でグループを作ってくださいって先生が指示して、誰も僕のもとには集まらなかった。当然といえば当然だった。僕は誰ひとりとして顔を覚えていない。なんの感情もわかなかったが、周りが哀れに思ったのか、誰か彼を入れてくれませんかって、周りが僕を一人にすることを許さなかった。僕は修学旅行を通じて、中学生では友達作らんとやべぇくらいに考えていた。ちょっとだけ恥ずかしかったんだと思う。一人ぼっちは恥ずかしいことなんだとその時初めて学んだ気がした。

 

中学生では、友人と呼べるものを作ることにした。積極的に声をかけ、あなたに興味がありますってことをアピールした。全く他人に興味はなかったんだが、人間というものには興味があった。なぜ彼らはこんなにも群れたがり、誰々が好きだとか、今日勉強してきてないぜってアピールする必要があるのかを理解していなかった。女性を好きという感情はあったが、さほど興味がなかった。別にどうだって良かった。犬と家族と勉強、ゲームとアニメがあればほかは必要としなかった。僕は満たされていた。余計な水が僕に入り込むことが気持ち悪かったが、受け入れるしかなかった。

 

僕は周りに合わせて生きていくことができた。周りと教師が僕という人間を構築していった。僕は周りに自分の考えを伝えることを得意であったようだった。その時は哲学がすきだったということも影響していたように思う。弁論やディベートを得意としていたため、発言に関しては問題なかった。周りとは打ち解けていなかったように思うが、教師からのウケは良かった。ごまをするのが得意な嫌な子供だったと思う。

 

しかし、同窓会という場に一度だけ出席したことがあるのだが、スクールカーストというものがあるのを初めて知った。僕は教員に好かれていたこと、成績が良かったこと、周りの人の勉強を見ていたこと、運動ができたことが良い方向に働き、そうしたカーストの枠を意識することのない人間だったのだろう。昔話のように誰々と付き合ってたよねとか、誰々が好きだったとか、不倫してるんだとか正直どうでも良いことを永遠と話すかつての同級生たちを気持ち悪く思った。化け物でも見ているかのような気味の悪さを感じたことを覚えている。いったいそんなことを僕や周りに告白して何を得ようとしているのだろうと考えることが多かったが、きっと「ムラ」の中に押し込めるための大切な儀式だったのだろう。僕はその場には、周りの人間達の中には存在していなかった。

 

高校生になり僕はコミュニケーションが下手であることを知った。部活に所属していたんだが、周りと打ち解けられなかったのだ。周りのコミュニケーションのやり方や話し方、考え方を学びながら、何が自分をおかしなものにさせているのかを修正するようになった。僕はだんだんと「ムラ」の中の住人になると同時に、自分というものが自分の中で薄くなっていることに気づいていなかった。常識という社会のルールの中に僕という個性は埋没していった。かつての先輩に入学当初から比べてすごく話しやすくなったよねと伝えられた。つまりは僕という人間はコミュニケーションが取れるように「ムラ」の中に溶け込むことができたのだと思う。大学でもその状態は続けられたため、僕は高校生を持って「ムラ」の中に入ることを許可されたのだった。

 

残念ながら社会人になり、かつての問題とは逆の状況に陥っている。個性をだせだとか、自分のやりたいようにやれだとかささやかれるようになったのだ。僕は「ムラ」への通行手形として自分の個性を置き去りにしてきてしまった。その個性を習得することはきっと今の社会から排除されることを意味している。おそらくそうしたもっともらしいことをいうことで、人の注目を集めているのだと思うが、僕らは「ムラ」の中に溶け込むために個性を失っている。社会に受容されるように個性を取り戻さなければ、僕は再び「ムラ」の中から排除される存在になってしまうのだろう。

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。