シン・春夏冬広場

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【映画評論】デトロイト・メタル・シティー 好きの反対は無関心って言うけれどあれ嘘だから

 

 

 

 

あらすじ

根岸崇一はポップ・ミュージックの世界で活躍を目指す駆け出しのシンガー。彼はミュージシャンになりたい一心で、デスレコードの門をたたく。彼はポップシンガーのミュージシャンになった。しかし、彼が開花した才能は、彼の求めたポップ・ミュージックとは真逆のデスメタルのロックバンドデトロイト・メタル・シティーだった。

 

彼はなりたい理想の自分と、才能のあるデスメタルの狭間で揺れ動く。そんな中彼のあこがれた女性相川由利と再開を果たす。彼女は雑誌記者になっていた。そして、彼の後輩は彼のなりたいポップ・ミュージック歌手として成長を果たしており・・・。

 

なりたい自分と才能のある自分は違う。そんな心の葛藤を描く物語が始まる。ぶっ殺してやる~~!!!

 

キャスト

根岸 崇一(ねぎし そういち)/ ヨハネ・クラウザーII世 松山ケンイチ

和田 真幸(わだ まさゆき)/アレキサンダー・ジャギ 細田よしひこ

西田 照道(にしだ てるみち)/カミュ 秋山竜次(ロバート)

相川 由利(あいかわ ゆり)加藤ローサ

デスレコーズ(ブラック&デスレコーズ)社長 松雪泰子

監督:李闘士男

脚本:大森美香

原作:若杉公徳

 

映画に込められたメッセージ

この映画に込められたメッセージは、マンガが原作ということもあり非常に単純明快だった。自身の中にある隠された才能と、理想の有りたい自分のギャップに悩むということになる。

 

根岸崇一はポップ・ミュージックを目指していた。ふわふわするような歯の浮くような歌詞。そして明るいだけが取り柄のメロディー。個人的な偏見だが、僕は正直ポップ・ミュージックというのが好きではない。というのも、音楽っていうのはもともと反戦だったり、差別だったりを歌ったものがはじめだし、生活を歌うものだからだ。そういった偏見があるというのもあるが、もっと広くていいと思う。

 

最近の音楽が好きになれない。愛だの、恋だのいうものは、正直人生の1年~2年だ。ずっと恋愛している人もいるにはいるかも知れない。しかし、それでもそういったものには終りが来る。確かに恋愛というのは、こころがふわふわして、面倒くさいことでも不思議と耐えられる力がある。

 

だが正直言って人生の7割はなにもない日常だし、残りの2割は苦しい自分の人生だ。そして最後の1割は幸せな体験だったりする。その1割の中に数%ほどの愛だの、恋だのの話がある。いや愛は確かにあるけど、男女関係の愛ってほとんどない。僕の人生の1年間だけだった。

 

はっきりいって、そんなわずかな部分を歌に込めるっていう最近の潮流は全く好きになれない。だからAdoだったり、豚乙女だったり、椎名林檎といった歌手の人生を歌った歌が非常に好感が持てる。確かに愛や恋を歌ったりもしている。仕方がない。愛や恋は鮮烈だ。そして、語るところが多いものでもあるのだろう。男女関係の機微がふんだんに込められているのは間違いない。だけど、本当に人生のほんの僅かな時間だ。

 

さて、話がズレまくったが、僕はデスメタルをそこまで知らないけれど、人への恨みや、鬱屈した自分の感情を代弁する歌は、正直言ってポップ・ミュージックよりよっぽど才能が必要だと思う。だって人の隠された感情を理解しないといけないのだから。そのため、根岸崇一がデスメタルの才能があるというのは、とても誇らしいものではないだろうか。

 

そして、実は嫌いなものというのは好きになる。僕もその経験がある。というより、嫌いなもの、苦手だったものっていうのは好きになると結構ハマる。僕の大学の教授の一人に全く好きになれなかったので、数学の教授になったという変わり者がいたが、実はきっと今好きなのだろう。僕も実は今苦手だったIT関係の仕事をしていたりするし、研究室もまったく好きになれなかった材料関係の研究をしていた。無関心でさえいなければ、嫌いなものは好きになる。

 

神のみぞ知るセカイの中でも語られているが、嫌いは好きに撮ってかえることができる。そのため、出会いの数をためて最後に嫌いを好きに総変換する。それは一種の真理だと感じた。

 

 

 

最後に

好きの反対は、無関心なのか、嫌いなのかといった議論がある。タイトルに入れたんだから、この話をしないとまずかろう。好きの反対は無関心という言葉は、マザー・テレサが考えた方便である。マザー・テレサは周りが無関心であって、人を助けることに精を出せない現状を憂いて、みんなの課題にするためについた嘘だ。

 

それとは別にでは、好きの反対は嫌いなのか、無関心なのかということを証明しないといけない。好きというのと距離的に見てマイナスの感情が嫌いである。これは納得してもらえるだろう。Yというのが感情をあらわしていて、Y=aXで表されると仮定する。Xに例えば何かを入力した場合、Yが正ならば好きで、負なら嫌い。だから、原点を対称として、反対の言葉はなにかと問われたら、それは嫌いでないと理論的に説明がつかない。

 

それでは無関心というのはなんだろうか。無関心というのはaがゼロの場合だ。原点とは少し違うかもしれないが、数学的に捉えるなら無関心はXにどんな入力してもYがゼロである。何を尋ねられても、無関心のものに対して、答えることはできないし、興味がわかない。好きも嫌いもない。それとは異なって、好きや嫌いは大小あれど数値がある。何か感情や感想を求められた場合には、好きならプラスの感情が、嫌いならマイナスの感情が返ってくるだろう。2つは数値があるのである。そのため、好きの反対は嫌いでないと論理的におかしく、無関心というのはゼロを指しているというのが結論だ。

 

 

ぜひ皆さんも映画を鑑賞してみてください。

 

いや~映画って本当にいいもんですよね。

 

 

 

また今度をお楽しみに!! バイビー!