シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

自分の人生と息子の人生

シンプルに答えを出せる人に憧れる。仕事をしていても僕は考えすぎてハマることがある。なんだって実は簡単に説明することができる。自分の説明や、考えが複雑に見えるのは、無駄な贅肉がついているからで、考えが足りてない証拠なんだろう。僕は自分の身体だけではなく、考えにも無駄な贅肉がついていて、色んなところで失敗しているように思う。

 

自分の仕事や、専門は自分がその道で活躍できるように選んだ道だったように思う。今だって日々歯を噛み締めながら、なんとかうまく行くように日々研鑽している。しかし、そんなただ頑張り続けることに意味を見出せなくなっている。自分が何者かになりたくて、道を探しているが、僕はその道に本当に立てているのか、そしてその道を進み続けることに疲れて来ている。誰しもが通る道なのか、それとも道は閉ざされているのか。日々手探りな状態で進んでいる。本当に自分で選んだ道なのか。ずっと悩んでいる。アニメや映画の主人公みたいに、新しい概念を見つけ、ただ自分の輝かしさを見せびらかすようなことは、通常の人生ではありえないことだろう。しかし、憧れるし、いつかそんな道を見つけ出したいというのが、僕の願いだ。

 

悩みというのは尽きないもので、どこから湧き出してくるのか謎なんだが、あちこちから湧き出してくる。いつからこんなに悩むようになったんだろうか。

 

僕には1才ににる息子がいる。彼は本当にありがたいことに、特に大きな病気もなくすくすく育っている。本が好きで、踊りが好きで、日々にこにこ笑い、本当に愛おしい。彼がいるおかげで、人生は明るく輝かしいものになった。何も成し遂げられてないが、彼が育っていることで、何かになれているような気がするから、不思議だ。

 

僕の悩みは、彼のためにもっと何か出来ないかと思う一方で、仕事を頑張って行くことに意味があるのかということである。たしかに仕事で何か成し遂げたいと思う一方で、彼の人生を本当に明るく楽しいものにしてあげたいと願っていることだ。もっと何かしてあげたいし、もっと息子との時間を確保したい。

 

僕は幼いこと鍵っ子だった。両親はとも働きで、どちらも帰りが遅かった。母はまだ起きているときに会えるが、父と平日一緒に過ごした記憶がほとんどない。いつも出前の飯を食べ、塾に通い、兄と一緒に過ごした。休みはクラブ活動を行っていた。休日に両親と過ごしていたが、平日の記憶はほとんどなかった。

 

息子と最近2人で出かけるようになった。嫁さんを休ませることがきっかけだったが、彼の歩く練習を一生懸命やっている。とはいえ、彼の歩きたいように歩かせ、彼のやりたいようにできるように気をつけている。彼は徐々にだが、急速に歩けるようになってきた。わずかな期間歩かせる練習をしただけだが、彼は両足で自立出来るまでになった。得意満面の彼の顔を見て、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。僕がもっと彼の人生を考え、彼のなりたいものを探す手助けをやるべきなんだ。どんなふうにアプローチすべきかわからないけど、もっと僕に出来ることがあるはずなんだ。

 

僕はもっと自分が何者かになるのではなく、彼の父として、彼の人生を明るく出来るようにすべきなんではないかと悩む。自分の時間を削ることは、犠牲なのか、それとも本当はその時間を使うことで、僕の新しい可能性に気づけるのかわからない。悩ましい。