シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

知らないと解けない問題が嫌い

よくクイズ番組などで出てくる問題が嫌い。たいていの問題は知らないと溶けないものが多い。知らないと解けない問題は知性をはかる問題ではない。単純に記憶力の問題で、知性をはかる問題ではない。受験勉強などで出てくる問題は、たいてい記憶力をはかる問題で、知性をはかる問題ではない。だから、記憶力が良い人が上位になり、記憶力が低い人が下位になる。それは知性が高い人が、上位になっているわけではないことを示している。

 

とはいえ、たいてい知性が高いと言われている人々は、往々にして勝手に学ぶので、知っていることが多かったりもする。だから、一概に先ほど述べたように記憶力が高い人は知性が低いという図式にはならない。記憶力が高い人はだいたい知性も高いことになる。僕の知り合いには結構常識と言われているような一般的な知識がない人が多い。しかしながら、僕よりも断然知性が高く、学ぶべきことや学ぶべき姿勢を示してくれることが多い。

 

僕の記憶力がいいということを暗に示しているわけではない。僕の知っていることは意外にも多いが、それよりも何かを考える力だったり、工夫する力だったりがすごい人が多く存在しているということを言いたかっただけだ。だからこそ、そういった創意工夫をする力が高い人があまり高い評価がもらえていないような現状の試験や資格の試験というのは、あまり良い状況とは言えない。

 

たしかに、何かに取り組むにはある程度のバックグラウンドが必要だ。ある程度知っていることが前提になるわけなのだが、そういった一般的な知識や必要な知識というのは、それはそれはその分野にいれば、出現頻度が高い。何が言いたいのかというと、そんなことは試験で問わずとも、現場にいればおのずと身につくものだということだ。それよりも考え方や、考える姿勢、人と接する態度などが重要だ。

 

誰かを見下すような人には誰も手を差し伸べたいとは思わない。横柄な態度をとって、真摯に取り組まない誠意のない人間には誰だって近寄りたくない。いつもわけのわからないことを言うくせにその結果がまったく結びつかないような人に、何かをお願いしたいとは思わない。チームとしてやらなければいけないことをそっちのけにして、自分のやりたいことや興味のあることだけに力を注ぐような人に、チャンスを与えたいとは思わない。

 

それよりもいつだって一生懸命でやる気があり、周りからの支持が厚い人というのは、やはりみんなから頼りにされるし、信頼が置ける。たとえその人に一般的な知識がなくとも、組織として機能している以上、そういった情報で済むだけなら、ほかの人だって助けになってくれる。つまり知識の有無というのはリカバリー出来るし、一般的であればあるほど、勝手に集まってくるものなのである。それよりも誰かに助けを求めたり、誰かがすぐにでも助けてあげたいと思えるような人こそが重要である。

 

だから、記憶力をはかる試験や問題というものには意味などなく、そんなものは辞書に書いてあるし、本を見ればわかる。インターネットで調べたっていい。それよりも、何かを考えつくような知性だったり、工夫、そして人に助けを求めたり、逆に助けたりするような能力が高い人の方が、組織にとっては貴重な気がしている。そういった人が不当に扱われるような今の試験体系はちがうのではないかなぁと思っている。

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。