シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

アウトプットの機会がなくなることが怖い

将来的に僕も年を取り、会社を辞めることになるだろう。最近では、定年退職の年齢が引き上げられることになっているが、会社の中で死ぬというのは僕にとっては非常に嫌だなと思う。余生くらいは、仕事のことを忘れて、ゆっくりとしていきたいと常々思っている。

 

さてそんな定年後にどうしたものかというのが最近の悩みだ。というのも、僕は37歳でまだ定年後のことを悩むような年齢ではない。しかしながら、僕は仕事人間であった。人生はあっという間に過ぎてしまう。つい最近入社したような感覚であるが、本当にいつの間にやら10年という月日が経ってしまった。

 

リモートワーク【テレワークともいわれているが】は色々なことを考えるきっかけを与えてくれた。それは僕が結局会社組織という小さな社会集団の中でしか活動をしていないという事実に気づけたことだ。ブログを始めたきっかけでもあるわけだが、そのほかの社会集団に入っていないというのは、情報の入手、提示する場所がないということだ。

 

僕の人生においてこれは問題だなと最近特に感じている。というのも、定年退職したときに組織を探すという行動に走れるだろうか。きっとできないだろう。長年やっているだろう彼らと僕ではやはり異物感が出てしまうのではないかと危惧している。いまの僕にとって、会社以外の場所から情報を入手する手段がないというのも問題だ。きっと病院でたむろしているおじいちゃんやおばあちゃんがたは、別の理由かもしれないが【組織に入っていたが周りがなくなったり年齢が離れてしまったなど】同じような理由で情報を入手する場所を求めているのではないかと考えている。

 

情報の入手先が偏るというのは、例えば定年退職や組織がなくなったときに途方に暮れることになる。社会的な動きを理解したり、世の中でどういったことが起きているのかということを入手することが必要だ。そしてこれが一番大切だと思うのだが、アウトプットすることだ。それも組織の中の庇護のもとアウトプットをするということが大切になる。どこに何かを出すのにも、組織の中から発信することが大切だと思う。

 

それは何かが起きたときには組織の中でチームを組んで対処するということでもあり、組織の数の理論により守ってもらうことでもある。自分でできることなどたかが知れている。そのため、何かトラブルに巻き込まれたときに組織に参加しているというのは、有利に働くだろう。パニックに陥ったときに、解決する手段を提示してくれる可能性もある。若者たちにとっては出会いを提供する場かもしれないが、落ち着いた僕のような中年にとっては、次の活動を広める場を探すことだ。

 

そのためやはり会社とは別に、外部の組織に所属して、いまの周りが考えているいろいろな考え方や情報を入手し、可能であればその組織の中で必要なアプトプットを提示する。そうすることできっといまよりもより良い考え方に近づける。そして定年後も一人でもじもじして、嫁からあんたどっか行きなさいよみたいなことにならずに済むような気がしてきた。うん。そうしよう。やっぱりいよいよ探そう。問題は栃木ではあまり選択の幅がないことが問題だったりするが。

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。