シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

僕らは本当に日本人なのか

便利な世の中になった。ちょっと前までは確定申告は税務署に書類を送付したり、税務署にで向かなければならなかった。いまではマイナンバーがあれば、自動で確定申告まで持っていける。わざわざ煩雑な手続きを考えることなく終わらせることが出来るようになった。

 

便利になったのはそれだけではない。スマートフォンを駆使すれば、写真をコンビニでプリントアウト出来る。わざわざヨドバシカメラやサトカメに出向くことなく写真の現像ができるようになった。カメラ、写真というものが僕らにとって特別なものではなくなった。

 

会議は格段に楽になった。物理的な距離感は失われ、ありとあらゆる場所がオフィスとなり、人と直接会う必要はなくなった。煩わしい挨拶や先輩への気配り、余計な雑務の分配は減っていった。新たに入った新人の顔を思い出せない。

 

SNSは僕らに新たな活動の場を提供し始めている。これは序の口で、今後メタバースが始まれば、みんなアバターを作るようになり、画面の向こう側の人がどんな生活を送っているかそんなことに全く触れることなど無くなってくるだろう。デジタルの社会、街が形成され、バーチャルな空間がさも現実であるかのように政策が決定され、人の生き死には今よりもっと数値としての値に置き換わっていく。人をいかに操りまるで雲の上から人を見下すようになっていく。気持ちの良いことだろう。自分の思ったように人、金が動き、生産性、効率が向上していく様を眺めるのは。完全計画経済の出来上がりだ。

 

僕はこのコロナ下で体調を崩した。コロナに世の中が汚染されて、まず発生したのはまさに会議のデジタル化とオフィスの分散だった。僕は部署異動を果たしたばかりで、これといって知り合いはいなかった。僕は結局だれに相談すれば良いのかと聞く術を失ってしまった。定期的な会議はあれど、議題以外の会話をする機会は無くなってしまった。完全に孤立してしまったのだ。やりにくさを感じてはいたが、会話はできていたため、コミュニケーションが取れているものだと勘違いしていた。そのため気づくのが遅れてしまった。しかし、会社のスピードは緩むことなく進み、僕は完全に置いてけぼりになってしまった。

 

ちょうどそのころに、僕に子供が誕生した。コロナ下だったため、僕の面会、立ち会いは出来なかった。仕方のないこととはいえ、ひどく落ち込んだし、どうじに感染を非常に恐れていた。さまざまな憶測がSNSに拡散され、未曾有の感染の恐怖はデジタルの力で拡散、増幅され、恐慌状態に陥った。恐慌状態に陥った時に宗教が誕生する。根拠のないデマで人を扇動し、人々を危険に晒すものがで始めた。毎日注射を打てない嫁、息子を心配しながら過ごした。

 

僕はいま思えば時間が出来たのではなく、逃げるようにブログを始めたのだろう。世の中の情報を収集することをはじめ、文章を書き始めた。ブログの本は不思議で仕方がないのだが、アフィリエイトやビジネスの本しかない。あとはテクニックの本だ。それはいかに自分の文章をうまく見せ、人に読んでもらえるように、SEOを工夫し、集客を行うかであった。毎日更新すべきだと記載があるから、その通りにする。表面をさらうような文章や、稼げるものを妄想し、日々金を稼ぐにはを考え始める。スタートアップ企業の本を読み、企業の科学を読みわかった気になる。

 

嫁さんから言われたのは、僕は本当におかしくなってしまったと言われた。話す力を失い、人のことを考えることをやめ、ただただ自分の利益が最大化することを目指していた。挨拶が出来なくなり、会話する力を失い、想像力を無くしてしまった。何も楽しくなくなった。ただただ焦燥感にかられ、何ものかになりたいという怪物に囚われるようになっていった。何ものかになる必要はないし、儲けるだけがゴールではないのに、それだけしか目に映らなくなった。

 

なぜこんなにも金を儲けること、大量に生産すること、効率を最大化することに重点が置かれるようになってしまったのだろうか。よく商人はしたたかで、金を集めるせどりや契約を重んじる像で書かれる漫画やラノベは多い。しかし僕の知っている出光、豊田、本田、松下はそんな人物像で書かれてはいなかった。人にものをうる以上利益を追求するのは当然なのだが、それ以上に人を大切にしていた。4社すべてにある社是は人間尊重なのだ。むしろ人を活かすために自己を犠牲にしていた。自らが汚れ、辛い目に遭うことには耐えられても、社員だけはなんとかしたいという人物像だった。だからみんな彼について行ったし、一致団結して危機を乗り越えていた。住友銀行はいまでも豊田と仲が戻らないと聞いたことがあるほど、それくらい創業者を社員は尊敬していたのだ。

 

金、効率、利益の最大化はあくまでも海外の考え方で、輸入したものではないかと僕は思う。僕はずっと引っかかりを覚えていた。いつしか僕らは日本人ではなくなっているのではないかという疑問だ。何かがおかしいような気がしているのにもかかわらず、そのことに気が付けないでいる気持ち悪さを覚えている。便利な世の中にたしかになっているが、同時に日本人らしさや、人、個人としての面白さ、コミュニティを形成し、何かを成し遂げる楽しさがなくなってしまっているのではないかとそう思えてならない。