シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

愛してるって最近言わなくなったのは本当にあなたを愛し始めたから

ゴスペラーズのひとりって曲の冒頭の歌詞なんだけど、学生の頃の僕はこの歌詞の意味なんざまったくわかってなかった。恋人いない=人生だったから、相手を好きになる感覚が理解出来なかった。その上こじらせていたから、人を好きになるというのはタンパク質の働きと脳が勝手に思わせてる錯覚だとすら、考えていた。そんな時期がぼくにもあった。

 

愛とはなんぞやという究極の命題を考えるつもりはない。科学でも宗教でも哲学でも心理学でも未だに正体のつかめていない、この神秘的な存在である愛というものを理解するつもりはない。理解できずとも感じることが出来ればいい。そんな便利さが愛にはある。

 

少し脱線するが、研究を続けたり、色々なものを考えると時折神秘的な存在である大いなるものを身近に感じることがある。きっとそれを世の中では神というんだろうが、神と同じくらい神秘的な存在である愛を理解しようとは到底思えない。人生がいくつあっても足りないし、存在を証明しようにもあまりにも漠然とし過ぎているし、存在を示唆するような信憑性の高いデータがあまりにも少ない。きっとこの先数年あるいは数百年たっても、神や愛というものは、その正体が表に出てこない限りは、証明することが出来ないだろう。

 

ただ、僕は今ではなんとなくだが、愛というものがなんだか存在していそうだぞって感じている。考えるな、感じろの世界なのである。理由はタイトルの通りである。愛してるって最近言わなくなったのは本当にあなたを愛し始めたから。

 

僕は嫁さんと結婚してから、付き合い始めてからだったかも知れないが、非常に浮かれていた。人生の大半を孤独に過ごしていた僕にとって、気持ちがウキウキする他人というのは初めての存在だった。一緒にいて心地が良く、一緒に過ごしていると安心して眠くなる。それは現在進行形で感じているが、本当に不思議なものだった。僕はことあるごとに彼女に愛しているよだとか、好きだとか、かわいいねってずっと伝えていた。本当にそう思っていたから、伝えるぶんにはいいだろうと考えていた。巷で聞く、彼や夫にいままで愛してるって伝えられたことがないなどという諍いを起こしたくなかったということでもある。

 

しかしだ。本当にタイトルにあるように、彼女と過ごす時間が増え、夫婦になってきてからというもの、僕はこれまでよりも愛しているよといえていない。愛がなくなった訳ではない。子供が産まれて、これまで以上に大切な存在になっている。子供と嫁さんが居なくなってしまったらきっと僕は生きていられないだろう。ただ、いざ愛してるよと伝えようとすると、言葉に詰まるようになって来てしまった。生まれて初めて嫁さんに告白したときのように、どきどきしてきてしまう。なかなか小っ恥ずかしい感じが何故だか湧くようになってしまった。どうやら僕の愛が深まったことで、本当の意味で愛していることで、言えなくなって来てしまったのだろう。ゴスペラーズの歌詞って本当のこと言ってるんだと気付いたのは、ここ数年のことである。歌手ってすげぇ。