シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

子供が作り出す優しい社会

子供が産まれてから1年が過ぎた。嫁さんからしたらようやく1年生きてくれたかという思いらしいが、僕からしたらあっという間の出来事だった。それくらい男女間には子供と接している時間も、密度も異なっている。ただ、そのくらいときが経つとのほほんとした僕でも気付くことがちらほら出てきた。

 

僕はプロフィールの絵からは想像もつかないくらい、いかつい見た目だ。身体はでかいし、筋骨隆々。正直熊をプロフィール画像にした方がまだ想像できるだろう。つい最近までタバコをバンバン吹かしていたベビースモーカーでもあった。道をのしのし歩き、目つきも鋭い。およそ一般人の見た目ではない。そんなもんだから、女性の背後を歩けば、走りさられ、道ゆく人々は避けて通る。僕の気持ちはそんな危ないものではなく、いたって善良なのだが、人は見た目で9割がた評価してしまうので、やはり僕に話しかけたり、挨拶してくるような人はいないわけだ。

 

どういう訳か、最近は話しかけられることが多くなり、挨拶されることも増えた。特に年配の方からが多いだろうか。変わったことといえば子連れ狼になったことだろうか。どんな強面でやばそうな見た目でも、ヤンキー子猫助ける効果により、老人はころっとだまされ、女性はほっこりするわけである。しめしめ。

 

そんなこんなで、最近の僕はとりわけ老人に人気である。人気なのは息子なんだが、コミュニケーションをとるのはもっぱら僕だ。話しかけると実は優しい系ヤンキーの僕は、かわいいお子さんですね、おいくつですか?なんて尋ねられたら、用意していた回答を発動して、社交性をアピールする。土曜、日曜の朝から赤ちゃんを散歩させる熊みたいなおっさんがいると、近所で有名になっているに違いない。

 

そのくらいヤンキー子猫助ける効果は偉大で、ありとあらゆるご老人が僕の息子にめろめろになり、話しかけずにはいられない。今日だって話しかけられたし、先週だってそうだった。いつのまにか僕は孤立していた社会から、優しい社会に迎え入れられていた。子供の存在は偉大だった。

 

息子は1歳の誕生日を迎えて、誕生日会が保育園で開催されたらしい。そんな時に息子を年長のお兄さん、お姉さんがお祝いしてくれたんだそうだ。〇〇くんがねとか、話題にあげてまるで自分の弟を自慢するみたいに先生や両親に伝えてるんだそうだ。微笑ましい一方で、僕は息子が生み出している小さな社会の存在に驚愕した。彼の存在のおかげで、僕ら夫婦は社会的一員としての地位を確保した。そればかりではなく、彼の生み出す小さな、しかし優しい社会の歯車が我々夫婦の歯車と噛み合い、我々の孤立を防いでいる。

 

不思議な感覚だった。子供という存在は、個人という人の存在だけではなく、社会そのものなんだと思う。小さな小さな社会が産声をあげたに過ぎないが、これまで会社としかつながりのなかった僕にはとても新鮮で、ありがたいことだった。やはり子供というのは、かけがえのない、財産なのだ。