シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

月曜のたわわ炎上は主張の異なる5つの問題が事態を深刻化している

f:id:bluebunny666:20220416203209j:plain

日本経済新聞広告より引用

 

巨乳は炎上する。この現象はNHKノーベル賞紹介キャストのキズナアイ*1献血ポスターの宇崎ちゃん*2、警察のVtuber広告*3から明らかとなっていたが、日経新聞に月曜のたわわ単行本発売の広告が炎上していて、個人的には確信に変わった。狙って炎上させていたとも言われているが、ここまで発展するとは誰も夢にも思わなかったに違いない。

 

問題が複雑化しているため、論点を整理する。

 

ジェンダーの平等

・本広告は女性への性的搾取を推奨しているか

・他の広告を無視して、なぜたわわなのか

・見たくないものに触れない権利

表現の自由への抑制

 

の主に5つの問題点が議題に上がっている。すべての論点がごちゃごちゃに議論されており、誰が何に対する批判をしているのか、改善すべき問題点がわかりにくくなっている。議論というのはこういった複数の問題点が一気に表出することがあるため、整理が必要だ。また1つ1つの重要性が高いため、論点をすり替えたり、問題を大きく見せるべきではない。細やかな対応が必要となり、どれも大きな問題だ。4/4に広告がだされ、4/15にUN Womenからの表明があり問題が深刻化してしまった。

 

個人の立場、1企業の立場では鎮火できない事態に発展したといっていい。無視することで事態が自然と沈静化するのか、または別の展開が生じるのか動静が気になる問題だ。

 

僕個人は月曜のたわわが好きだし、擁護する立場だ。作品は非常に面白いし、更新されるたびに読んでいる。しかし、それを不快に思っている人達がいる。何に対して不快に感じていて、今後僕の表現するものなどに対して、何に注意しなければいけないのかといったことを理解したい。そういった考えからスタートしている。どちらの主張が正しいとか、悪いとか決着をつけたいわけではない。正解のない問題であるため、折り合いをつける場所の議論をすべきだ。

 

 

ジェンダーの平等に対する僕の立ち位置

僕の立場を明確化する必要がある。これまで度々ブログで取り上げているが、僕はSDGsとは関係なく、ジェンダーの平等な世の中になっていくべきだと考えている。それは女性という1つの性だけではなく、LGBTまたはそれに該当しないものまで含めてということである。これまで性的に搾取されてきた立場の人、1つの性として認められて来なかった人への風よけくらいにはなりたい。

 

www.akinaihiroba.com

 

しかし、いわゆるフェミニストと言われるような変革を過度に推進したいわけではない。社会の浸透として自然に受け入れられてくる速度でという意味だ。社会的に過度な速度で物事が推進することは少ない。1人、1人が前向きに捉えていくことでしか、ものごとは前進しない。多くの人々がジェンダーの問題に対して、より積極的に改善すれば、それだけ早く問題は解決する。その後押しは積極的にやるが、強引にやるつもりはない。日和見と馬鹿にされても仕方がないが、僕にはそこまで強烈にこの問題に対する熱量はない。多くの人がそうであるように、他にも取り組まなければ行けない問題が山のようにあり、その1つがジェンダーの平等だということである。

 

ジェンダーの平等【特に女性の権利の獲得に見えるが】を強引に、常に炎上させるつもりで実施する立場の人たちをフェミニストと揶揄する傾向にある。フェミニストすべてというつもりはないが、炎上させることにより自体を複雑化している。オオカミ少年になるべきではない。

 

本広告は女性への性的搾取を推奨しているか

この問題は結構複雑だ。日本経済新聞の広告だけに注目すると、性的搾取を助長しているようには、見えない。そのことは多くの記事で取り上げられている。この中には密接するが2つの問題が隠れている。1つは本広告が性的搾取を推奨するものであるかという点と、1つは作品そのもの【広告、被広告作品】が性的搾取を推奨するものであるかという点だ。後半の問題点は表現への自由への抑制にも関わるが、ここでは作品そのものが犯罪を助長するものであるかという点を取り上げたい。

 

まずは本広告が性的搾取を推奨するものであるか否かという点。

 

wmc-jpn.blogspot.com

 

1つは女子現代メディア文化研究会の疑義である。

 

(1)胸が大きな女性の表象が含まれる広告が排除されると、胸の大きな実在する女性が疎外感を持つ場合があります。そうした女性にとってはエンパワーメントとは逆とならないか。

(2)国連女性機関が性的か否かの判断をしミニスカート姿を含め性的であるという基準であれば、国連女性機関の理想とする「女性像」の押し付けとならないか。

抜粋

 

指摘は至極当然の内容で、素直すぎる僕はまったくもってそのとおりと勝手に納得してしまった。僕はいつだって疑うことを知らないから、内容を理解しきれないことがある。

 

しかしながら、アストライアさんの記事*4を読み考えを改めるべきだろう。本広告そのものではなく、本広告に付随する紹介文章とこの作品のタイトルそのものに性的な表現が隠れている

 

人間の身体について「たわわ」というのはいかにもルッキズムです。もともと「たわわ」という表現は、ブドウなどの農作物がよく実っていることにも使われるので、「たわわ」という表現からは、女子高生の特定のパーツを農作物のように「モノ」として見ていると女性からは見えます。女性も人間なので、モノのように扱われたら尊厳を侵されたように感じます。そして、「月曜日は憂鬱な曜日だから、たわわな女子高生を電車でジロジロ見ようぜ」という態度を促している。

抜粋

 

またToggeterの中での意見*5

 

発端はナタリーの記事だったと思います。 「女子高校生を見て、新卒社会人に憂鬱な月曜日でも元気を出してほしい」というメッセージ性が問題視されています。 女子高校生はアイドルでもない一般人です。反対に「男子高校生を見て元気を出そう」という趣旨の広告があれば違和感がありませんか?漫画の内容だとか広告の女の子が胸が大きいだとかは置いといて、ここが1番大きいと思います。 「女子高校生を見て元気を出してほしい」という感覚の広告が一般的に見られることは、痴漢の被害者として十分に怖いことです。 突然のリプ申し訳ありませんが、少しでも理解していただけると幸いです。

抜粋

 

この2つの内容を見て、問題点が理解できた。広告という媒体や作品の内容というわけではなく、たわわという表現そのもの、そしてそれを紹介した文面そのものに確かに性的な内容を助長するような内容が隠れている。ここまで見て初めて問題点がわかった。やはり話が噛み合ってなかった。議論すべき内容が交錯してしまっているのが1番の問題点だ。

 

ナタリーの紹介文章が明らかに問題があるように感じる。

 

見たくないものに触れない権利はあるが、タイトルに関しては作品そのものを表現するものであり、新聞広告という限定的に公開されたメディアであるため、変更すべきではないし、広告も問題ないと個人的には考える。あくまでも1つの立場として不快だということだ。それに関しては否定するつもりはない。その通りだ。だが、それは表現の自由の1つだ。

 

そして作品の犯罪性を助長するか否かという部分に関しては、1部は後半で取り上げるが、僕は作品が犯罪を助長するものではないと考えている。

 

誤解がないように断っておくと、月曜のたわわが犯罪を助長するとは微塵も考えていない。個人的には作品の内容は健全だと考えている。

 

犯罪を犯すような人がたまたま作品にヒントを得たり、作品が好きだったりする可能性があるだけで、犯罪を促すものではないと考えている。デスノートキャッチャー・イン・ザ・ライなど犯罪を犯した人が真似したり、所持していたというのは確かにあるが、それは作品とは関係ない。本人の問題である。

 

bunshun.jp

 

こうした議論は度々行われており、万引き家族冷たい熱帯魚罪と罰など多くの作品がそのたびに取り上げられるが、必ずと行っていいほど「被告の差別的な思想が本という形で拡散すれば同調する人が増えるおそれがあり危険だ」というような発言はある。しかし、その本や作品を見たからと言って全員が犯罪者になるわけではないし、そういった立場の人の考えを理解して、自分の内省に利用するべきだ。作品に罪があるわけではない。

 

この問題点の結論は議論すべき論点が互いにズレている。広告そのものに問題があったというのではなく、タイトルや作品を紹介する文章に問題があった可能性が高い。

 

しつこいようたが、誤解がないように断っておくと、月曜のたわわが犯罪を助長するとは微塵も考えていない。個人的には作品の内容は健全だと考えている。それが不快に感じるのは個人の感覚の範囲内だし、選択的に見ないで済む問題ではないだろうか。見たくないものに触れない権利の中で議論すべき内容だ。

 

他の広告を無視してなぜたわわなのか

この議論はToggeterの中でも取り上げられており、たまたま朝日新聞の中吊り広告と新聞の広告との対比として取り上げられていた。

 

togetter.com

 

ここでも論点がズレている。中吊り広告の文面そのものは、はっきりいって最悪だった。未成年の女性の姿に対してそれを賛美するかのような内容だった。その問題とたわわの問題は別問題だ。中吊り広告のガイドラインそのものを変更する必要がある。なので、すべての広告を無視するわけではない。調べてみたら、他にもあるじゃん最悪というだけだ。

 

たまたまたわわの問題が脚光を浴びたのは、日本経済新聞という知名度の高いメディアであること。そして、NHKや警察、献血のようにお硬いイメージがあったため、裏切られた感じがしたのではないだろうか。ブルータスお前もかということだ。不良が猫を助けている情景を想像してみてほしい。ギャップにより、火がついたのだ。

 

見たくないものに触れない権利

見る自由と見ない自由がある。今回の広告の問題点として、不快なものを選択して見たくないという権利は当然ある。しかし、そういったものは可能であるのだろうかという点だ。

 

togetter.com

 

news.yahoo.co.jp

 

www.huffingtonpost.jp

 

見たくないものに触れない権利を主張するのは現状難しい。今回は新聞に対する広告記事であるため、見たくなければ折りたたむことが可能だ。そういった裁判も過去に判例があり、見たくないものに触れない権利は否決されている。そのため、この問題に関しては、司法や政治の場で議論すべき内容であり、制度の基準の見直しなどを議論する余地がある。

 

1つの立場で不快な表現があったのは理解できる。そのため、どの程度見たくないものに触れない権利がより範囲を拡大できるかを議論すべきだ。表現の自由を侵害するような、作品のタイトルの変更や作品内容に言及すべきではない。

 

司法の場で1度決着がついている以上、見なければいいという立場になってしまうが、問題があるものに関しては、範囲や年齢など、見せないようにすべきだという議論は続けていくべきだ。これはすでに会社の中で規制があり、議論が済んでいるという立場は理解されるが、規制が甘いと感じている立場がある以上議論の余地があるのではないかと想像している。

 

表現の自由への抑制

過熱の一途をたどってしまった背景にUN Womenの抗議がある。

 

www.daiwahouse.co.jp

www.huffingtonpost.jp

UN Women 本部は4月11日、日経新聞側に宛てた文書の中で、同社がUN Women とこれまでに交わした覚書などへの違反を指摘し、『月曜日のたわわ』の全面広告を「容認できない」として抗議した。

同社に求める今後の対応として、社外への公式の説明の必要性を指摘したという。国連女性機関は同社がハフポスト日本版に寄せた「今回の広告を巡って様々なご意見があることは把握しております。個別の広告掲載の判断についてはお答えしておりません」とのコメントについて「失望しており、(同社は)自らの立場について考え直してほしい」と書面に記した。

日経新聞とUN Women 日本事務所などが掲げていた「3つのP」に反する広告を掲載したことも問題視し、同社の新聞広告の掲載基準の見直しを求めた。

抗議文の送付前に同社とのオンライン会議を開いた石川所長は、同社から「社内で色々な人の目を通して検討したが、広告を問題だと認識しなかった」と説明を受けたという。

国連女性機関は日経新聞側からの回答に期限は設けなかったが、なるべく早く対応するよう促したという。4月14日までの時点では、まだ国連女性機関に対して同社からの回答は示されていないそうだ。

 

抜粋

 

この中で書かれた表現に対し、漫画家の赤松健先生の表明文の指摘がわかりやすい。

 

note.com

 

「新聞広告の掲載基準の見直し」とは、「現在掲載すべきでない広告が掲載されている、この広告を通した基準を見直せ」というものに他なりません。「現在掲載すべきでない広告が掲載されている」というメッセージを含んだ新聞広告の掲載基準の見直し要求について、これのどこが「制限」(=表現規制)にあたらないというのでしょうか。

 

抜粋

 

女子現代メディア文化研究会の疑義と合わせて読むとわかりやすいが、この問題点に対しては、たわわという作品そのものに言及されている。タイトルそのものや、広告の掲載内容などに対して欧米の基準に合わないから、従えとたしかに取れなくもない。表現の自由に対する侵害行為なのか、それとも表現の齟齬なのか、守らなければ行けない基準の明確な根拠はなにかそういったことにまで言及すべき問題に発展している。

 

ここまで大きな騒動になると個人、1企業ではどうにもならない。表現の自由の是非をめぐる政治的な問題に発展してしまっている。この問題に関しては今後の動静を見守っていくしかない。あくまでも日本の文化である漫画を守ること、作品そのものに対して表現を改めろと行っているのか、そうでないのかはしっかりと議論してほしい。

 

最後に

月曜のたわわの問題は、5つの問題が同じ舞台で議論されたことにより、事態が複雑かつ深刻化している。多くの人の意見をまとめたものであるため、七色の主張をしていないか今一度結論を改めたい。個人的な意見なので、あくまで参考。男性の立場で書いているため、今回の問題に関しては、女性、その他の性の立場の意見のほうが重要だと思う。

 

ジェンダーの平等

女性の権利だけではなく、LGBTの方の権利を自分なりの速度で達成する。多くの人が同じように考えれば、より社会への浸透速度は早い。

 

・本広告は女性への性的搾取を推奨しているか

本広告そのものは性的搾取を推奨していない。そうした表現もない。作品のタイトル、紹介文章に問題点があった。作品のタイトルは”表現の自由”の権利の1部であり、”見たくないものに触れない権利”に該当しないことから変更はできない。そして、タイトルに関しては、個人がどれだけ容認できるかという問題だと思う。不快になる立場は理解できるが、あくまでタイトルは作品の表現の1部であるため、表現を変えろは容認できない。紹介文章に関しては変更、撤回の余地が残されていると考えられる。

 

・他の広告を無視して、なぜたわわなのか

堅実かつ信頼性の高いメディアで取り上げたことにより、不良が助ける猫の理論から注目を集めた。別に他の広告が許されたわけではない。別問題。

 

・見たくないものに触れない権利

現状の司法では否決される可能性が高い。司法と政治の場で議論すべき。規制範囲の見直しや年齢の指定などは議論の余地がある。しかしながら、今回の件に関しては撤回や訂正、謝罪などは適法範囲内であると考えられる。

 

表現の自由への抑制

議論の掛け違いなのか、抑制なのか政治、代表者会議などではっきりすべき問題に発展している。個人的な主張としては表現の自由は守られるべきだ。ジェンダーの平等とは別の問題だ。表現の自由が確保された上で、ジェンダーの平等も改められるべきである。