シン・春夏冬広場

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【映画評論】はるヲうるひと

 

好きな俳優と問われると、唐沢寿明山田孝之香川照之の3人だ。唐沢寿明が好きになったのは白い巨塔。がんに犯された唐沢さんが演じる財前が親友だった里見に対して、ただ無念だと伝えた様は心を打たれた。山田孝之が好きになったのはウシジマくんと缶コーヒーのCMのギャップ。ウシジマくんの猛烈で冷酷な悪役をこなした感じと、缶コーヒーのしがないサラリーマンを演じた彼が同一人物なのかと疑問に思うくらい演技の幅の広さに驚いた。香川照之が好きになったのはリーダーズを見てからだ。生き物ばんざいも好感がもてた。3人とも迫力のある演技が魅力の俳優だ。山田孝之が主演している作品である。

 

舞台は風評被害に苦しんでいるとのことなので、架空とあるが、おそらく売春島だと考えられる。映画の舞台に近い島は、かつて存在していた。日本にもいろいろな歴史がある。特に売春関連に関しては本当に最近になって改善されて来たものばかりだ。伊藤文学の著書やらないかにその辺りの歴史が一部掲載されている。僕の知っていることなど、ほんの一部に過ぎない。

 

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村は孤立しているが、まだ陸続きなので逃げようがあるが、島のように物理的にも孤立している場合、簡単には島から逃げることが出来ない。島を渡るには船に乗る必要があるから、わかってしまう。そんな閉鎖された島が舞台だ。

 

 

登場人物と舞台に関する考察

登場人物は、次男真柴得太が山田孝之、長女真柴いぶきが仲里依紗、長男真柴哲雄が佐藤二郎。演者であり、監督をしている。あとは売春宿かげろうに所属している女性が4人。主にこのキャストで話が進行していく。

 

家庭環境が複雑だが、次男と長女は妾の子。長男とは腹違いの兄弟である。長男は粗暴で、次男、長女にキツく当たる。島の権力者の息子だと考えられる。両親が自殺しており、妾と主人が一緒に自殺したとされていた。そのことを苦に母親が突発的に一緒に自殺したと誤解されている。その誤解から長男は腹違いの兄弟を恨んでいる。

 

実際は妾と妻が愛し合っており、つまり女性間で結ばれていた。当時の舞台が昭和から平成にかけてだとすると、同性愛へのあたりはいまの比ではない。それは美輪明宏さんがメケメケ、ヨイトマケの唄でヒットを飛ばしながらいまのいままで紅白に出られなかったことから想像にかたくない。当時の新聞、週刊誌などでも批判的な言葉が記載されているとのことだ。そのくらい当時は同性愛者というのは、精神異常者と考えられており、差別的な見方が強かった。そのため、結ばれない愛を苦に2人は自殺し、その後を追う形で主人も自殺した。そのことを目撃したのは、幼い頃の次男の得太だった。主人に死ぬ間際に黙っていなさいといわれ、ずっとそのいいつけを守っている。

 

映画はタコを山田孝之が演じる得太が、いじめているところからスタートする。タコというのは人を半人前だとする比喩表現がある。そのためいくじのない象徴であるタコをいじめるというのは自分の境遇、長男や社会からさげすまれていることを象徴していると考えられる。つまり社会的に境遇が良くないというメタ表現だと想像できる。この表現は映画の最初と最後に出てきており、得太の境遇が変わっていないことを意味している。そして浮浪者として描かれていた人間が、実は身なりの良い人間でたまには馬鹿をやってみたくなるのですと伝えていることから、登場人物全員が馬鹿な生活をおくっていると表現していると想像される。

 

※メタ表現というのは、実際に表現や記事で言及しているわけではないが、結果としてそのように意味する表現のこと。例えば新聞記事の中やニュースで連日ウクライナの戦争のことを取り上げているが、世の中では戦争以外のことはまるで問題がないと錯覚すること。最近ではお年寄りの急発進や逆走事故が増えているかのように報道されていたり、あおり運転が非常に多いと認識してしまうこと。

 

次男の得太はいわゆるポン引きで、港に降り立つ男たちに女性をあっせんする職業だ。1時間の料金などをすらすらと語ることから、長年そうした生活を営んできたことがわかる。主な舞台である売春宿かげろうでは4人の女性が勤務している。よくもここまで場末の風俗感を出せるメンバーを選んできたなと思う。女性たちの演技がうまいのか、佐藤二朗のなせる業なのか不明だが、雰囲気がある。長女であるいぶきは長年体調を崩しており、きれいな雰囲気の女性だが、客が取れずみんなにやしなってもらっていることを心苦しく思っている一方で、思ったことを口にしてしまい、仲があまりよくない。酒をのみ苦しさを紛らわせている節がある。

 

長男哲雄は一見ことば使いは優しいが、いわゆるやくざなのだろう。火鉢に手をつっこませるのは当たり前だし、優しい声で諭すように暴力をふるう。うそんこの愛から自分が誕生し、兄弟も誕生し、自分は本当の愛に飢えている。誰も信じることが出来ず、誰にも真実を話せない。一見粗暴だが、本人自身も己の中にある大いなる矛盾に気づいていない。

 

全体的に島の閉塞感と権力構造からの押さえつけ、そして性産業しか金を稼げる手段がない行き詰まりの中で必死に生活している人々の様子を描いている。まるで生活の中の1~2か月くらいを切り取ってきて映画にしたかのような写実的な映画だ。なかなか理解が難しい映画だ。

映画の伝えたいメッセージ

演者とくに山田孝之の自身の何か隠していることを必死に耐えていることや、妹に手を出した兄をどうにか殺さないようにしかし、殺そうとしている様がものすごく迫力があって、人の切羽詰まった感じをありありと表現している様がすごかった。結果としてその状況も日常の中へと戻っていくことから、こんなことなど日常茶飯事なのだろう。

 

映画の中にメッセージが必ず隠れているものだと考えているが、正直よくわからなかった。だいぶ難しい映画だ。やはりこの映画を通じて何かを感じ取ってもらって、それが評価されるものだと考えている。

 

テーマは愛だと考えている。

 

客とキスするときは目を開けろと言われており、しかしリリと言われる女性はミャンマー人の男性と結婚をする。このときキスした際に目をつぶっている。これは愛している本当の愛があることを意味している。妾と夫人の同性愛。結ばれない2人が死ぬことで結ばれることを表現している。次男が長女を大切に思う兄弟愛。そして長男が欲している家族愛と人を信頼することで獲得する友愛。そんな愛を表現したい一方で、春を売る人という疑似的な愛を売買する人を表現しており、なんとも複雑な映画だ。ところどころメッセージが込められているのだが、読み取ることに骨が折れる。正直あっているかどうかは不明だ。信じるか信じないかはあなた次第みたいな感じだ。

 

ぜひみなさんも見てみてくだい。

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。