シン・春夏冬広場

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【映画評論】海賊と呼ばれた男

 

 

出光興産の創業者である出光佐三の物語だ。偽名として国岡とされているが、出光の歴史をなぞっている。

 

 

登場人物とあらすじ

主役である国岡鉄雄は岡田准一が演じている。モデルは出光興産の創業者の出光佐三である。国岡ユキは綾瀬はるかが演じている。モデルは城戸崎ケイさんだと言われている。原作は百田尚樹、監督は山崎貴。時代は明治18年から昭和56年まで。

 

戦前の石油の将来性に目をつけた国岡が、問屋を通さずに顧客に直接石油を販売する形をとる直営店を展開する。下関と門司での住み分けを図る協定をかいくぐり、下関側の漁師に海上で燃料を売るため、従業員とともに伝馬船と言われる小型の船で海に漕ぎ出す姿は「海賊」と呼ばれた。極寒の地満州で、満州鉄道に対し、良質な潤滑油を売理こむことに成功する。

 

海外にも売出したが、国内のその他の会社からの反発が大きく統制を受ける。日本で商売ができないような状態に追い込まれてしまう。

 

戦後まもなく二代目日章丸を建造した。しかし、北米のメジャーズと言われる大手から自分たちの資本を入れなければ石油を販売できなくする妨害にあう。国岡はイランから石油を輸入することを決意する。当時イランはイギリスから搾取されており、イギリス艦隊の目が光っていた。そんな危険な航海を成功させた日章丸事件までを取り上げている。

 

石油の技術とは何か

現代に生きる僕らからすると石油の重要性は当たり前だ。しかしながら、なぜ重要なのかを説明することはそう簡単ではない。そして、なぜ列車の話が映画の中で取り上げられているのか説明することは難しい。そのため映画で表現されている石油技術がわかったほうがより作品を楽しめる。

 

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石油のイメージ

 

石油は植物が化石化した有機物からできた燃料である。そのため、化石燃料と言われている。石油と一口にいっても、様々な物質が混ざりあった状態だ。僕らの生活の中では砂糖をたっぷり入れたアイリッシュコーヒーが石油と考えるとわかり易かもしれない。アイリッシュコーヒーは水にお酒、コーヒー豆の微小な粒、砂糖の粒が混ざった状態だ。そして上に生クリームが浮いている。この砂糖たっぷりアイリッシュコーヒーを鍋にかけると生クリームが溶け込み、アルコールが蒸発していく。その次に水が蒸発していく。そして最後には生クリームの油が一部蒸発し、生クリームの残りかす、砂糖、コーヒー豆の粒子が残ってまっ黒焦げになる。石油も同じような揮発性の違いを使って、ガソリン、軽油、灯油、重油、ナフサを分けている。そして最後の方にはアスファルトの原料であるタールなどが残る。このような形で原油の蒸留を行い、分けられた材料を使って燃料油、原料油(合成樹脂、合成繊維、合成ゴムになる)、潤滑油を作って僕らの生活を支えている。

 

映画の列車の話をしよう。

 

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原油から精錬された油の中に潤滑油がある。潤滑油の役割は大きく3つある。油圧の伝達、摩耗・摩擦の回避、冷却だ。現代の多くの機械(列車、自動車、重機が代表的)は油圧で動いている。油圧を使うことで、大きな力を伝達することができるためだ。そして、駆動部は金属部品を用いているため、金属間の接触を回避しなければならない。機械の力は猛烈に強い。人間など簡単にぺしゃんこだ。その猛烈な力を潤滑油なしに伝えることはできない。油を隙間に行き渡らせることで、金属同士の接触を極限まで少なくするのである。最後にその発生した熱を捨てる必要があり、その熱の伝導の役割を担っている。しかし潤滑油は可燃性液体だ。そのため、燃えないように、劣化しないようにコントロールする必要がある。

 

極寒の地で満州鉄道が直面していた問題は、この摩擦・摩耗の回避ができなくなったことだ。潤滑油が凍結し、駆動部の中を流れることができなくなる。もしくは温度が下がるとオイルの粘度が上昇するため、オイルが十分回らなくなる。そうしたことが発生すると、金属間が直接接触し、冷却できず焼付きという現象を起こす。簡単に言うと動かなくなるならまだいい方で、機関部が爆発したりする。そのくらい甚大な問題を新参者の企業が成し遂げてしまっては、それは面白くない。そのぐらいすごい話だし、この話を聞くとやはり出光という会社は半導体の開発や有機ELの研究を行ったりしているが、オイルのエキスパートの会社なのだと思う。

 

 

人間尊重とは敗戦国日本が立ち上がるためのスローガン

出光興産の企業理念に人間尊重がある。しかし、この人間尊重を企業理念に掲げている企業は多い。トヨタ、キャノン、パナソニック、ホンダ、リコーなど数多くの名だたる企業がその企業理念として、人間尊重を掲げている。

 

どの企業も戦前もしくは、戦後まもなく創業した企業が多く、個人的な見解にすぎないが、敗戦後仕事がない中で、その復活ののろしとして、人を切り捨てることなく、自分たちの力で立ち上がるしぶとく強い日本を取り戻す心の支えとしていたのだろう。

 

日本は敗戦したことで、国中が一致団結し、貧しいながら、人を尊重し、個人を尊重し、みんなでしぶとく生き残る。そのためには個人の力など微々たるものに頼るのではなく、強烈なリーダーシップではなく、人々の心を支え、集団としての力強さを発揮した。それぞれが己の役割を探し、あるいはお互いの強みを見つけ出し、助け合った。僕らが忘れた日本人としての在り方があるような気がしてならない。

 

これは以前から違和感を感じていて、強烈なリーダーシップや誰かを蹴落として上にあがってやろうという考え方は日本にあってないのではないかと考えていた。というのも会話に対する体系としてよく知られているのはカーネギーだし、マネジメントの考え方を示したのはドラッカーだ。日本は敗戦したことによって、日本人独特の感性を失って、外から取り入れるあまりわからなくなってしまったのではないかと想像している。

 

戦後自己を大切にする考え方や個人の成果を尊重する考え方というのは、海外から取り入れられたと言われている。これは養老孟司先生のヒトの壁の中で語られている。戦後教育から取り入れられた考え方なのである。古き良き日本を取り戻そうなどという逆行思考のような、無粋なことを考えてはいないが、僕らの根本にある考え方と個人を尊重する考え方はそごがあることは認識した方がいい。僕らは互いに支えあいながら、互いに助け合いながら暮らしていくべきなのだ。そのため、僕らがやるべきことは日本人にあった思考方法や組織運営、コミュニケーションのやり方を分析すべきだろう。

 

なぜそのようなことを言っているのかというと、開発手法にコンカレント・エンジニアリングという考え方がある。これは日本の開発方法に驚愕した海外勢が、日本の企業を分析し、なぜ日本はうまく並行して開発できるのか考えた。その考え方が逆輸入されたものだからだ。日本人はきっと体系をまとめたりするのが苦手だ。しかし僕らの文化や考え方の根底は簡単には変わらない。だから僕らは僕らにあった考え方やリーダーシップを模索すべきだとそう主張するのである。