シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

僕はリモートワークができない

正直に告白しよう。リモートワークのためのガジェットや、環境のブログを書いていながら、僕はリモートワークの才能がこれっぽっちもない。僕にはリモートワークという働き方が合わない。リモートワークを強制されたら、僕はおそらく沈没する。それだけは間違いない。リモートワークという働き方を否定するつもりはない。できる人はできるのだ。そのためリモートワークをしたいという人に対して、出社しなければならないのであるとは強要したくない。しかし、僕はリモートワークをするつもりは決してない。それだけは断言できる。前時代的とののしってもらって構わない。しかし、働き方の多様性という観点では、僕のような働き方は選択肢の1つであって、お互いに好きな働き方をチョイスすればいい。リモートワークという働き方が追加されたにすぎないのである。

 

在宅ワークを行うというのが、そもそも嫌だった。僕は切り替えが苦手な人間だ。休む、働くという行為が場所に結び付いた人間だ。そのため家はそもそも休むために存在し、休息を最大化できるように設計している。当然職場はその逆で、集中できるように設計しているし、情報に困るようなことがないように設計している。安らぎを得るための空間で集中して仕事をこなすということが、しょうにあわなかった。家で働くとものすごく疲れやすい。休息が頻繁に発生してしまうし、誘惑も多い。部屋はあるのだが、子供の部屋と地続きで、息子が暴れまわっている声を遮ることができない。集中できる環境にない。貸しオフィスでやるにも、時間と金がかかるし、それなら出社したほうが環境が整えられている。会社に出社するとやる気スイッチが入る。集中しやすい環境が整えられているし、何よりインターネットの回線が17時以降に急激に遅くなるという不具合も発生しない。この不具合はいろんな人が帰宅して回線が込み合うことで発生しているのではと想像しているが、そんな脆弱な環境で在宅ワークを行うということがそもそも間違っていると言わざるを得ない。

 

ささいな情報交換が、仕事をスムーズにこなすための潤滑剤となっている。リモートワークであると、ささいな質問や、ちょっとした調整にもいちいち相手の状況を気に掛ける必要があるし、電話しても問題ないか、テレビ会議しても問題ないかを確認しなければならない。相手が暇そうにしているのか、忙しそうにしているのかも簡単には把握することができない。本当に出勤しているのか、席にいるのかすら簡単に把握することができない。出勤するという時間コストを支払って、コミュニケーションを円滑に進めるために出社しているのだと考えるようになった。出勤するというのは時間的なコストが大きい。疲れるし、通勤ラッシュに巻き込まれると正直うんざりするが、耐えるだけの価値が出社には存在している。そのことに気づかされた。出社せずに仕事をするというのはものすごいストレスだった。自分だけで完結できる仕事は仕事とは言わない。その仕事は誰でもできるので、付加価値を生まない。誰かと手を取り助け合いながら問題点を解決していくのが、本当の仕事だと考えている。そのためいちいち出鼻をくじかれるリモートワークが全く好きになれない。

 

リモートワークにも恩恵はある。いちいち会議室に集まる必要はないし、距離的な不利をなくしてくれた。海外とのやり取りにも距離の制約はなくなるし、国内とも簡単につながれるようになった。その代わり、これまで近かった相手に対しても一定の距離を生み出してしまった。そのためなんでも使い方次第だと思うが、メリットデメリットがあったという単純にそれだけの話だった。リモートワークが生み出した恩恵は大きいが、恩恵の分だけ困難も同時に生み出した。原子力が僕らに電気を与えたが、同時に大量殺戮兵器を与えてしまったのと同じことだ。なんでも使い方次第ってこと。

 

僕はきっとこれからもリモートワークを行うことはないだろう。海外や日本国内の他の人たちとはテレビ会議するけれどもね。

 

またね!

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