シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

ブログを通じて多様性を実感する

ブログのネタは、思った以上に被らない。僕がブログを書くようになって、約1年が経過しようとしている。しかしながら、似たようなことを書くことはあっても、テーマが被ることはあっても、内容が被ることはほぼなかったと記憶している。確かに、料理でハンバーグを作ったり、人気のある料理に取り組むと、どうしても似たような部分は出てくる。似たような部分は出てくるのだが、盛り付け、味付け、材料などなど、そういったものには個性が宿る。その人の人生が反映されているのだろう。

 

これが多様性ということなのだ。そう実感した。多様性というのが具体的に何を指すのかは、想像するのが難しい。あなたがいて、私がいて、違いがある。言葉ではこれだけなのだが、具体的にどう違うのだろうかというのは結構理解に苦しんでいた。そう、僕は細かく、不器用な性格なので、納得できないものは理解できたとしても腑に落ちない。ただし、ゴーストは突如としてささやいてくる。

 

ふとブログを徘徊していると、LGBTに関して記載しているものがあった。僕もちょうどその時やらないか!の書評を書いていた。内心かぶっていて、しまったなぁと思った。でも書いちゃったって。ただ、中を読み進めていくと、僕と全く見方も違えば、扱いも違った。僕が基本的にはゲイの特に男性側に焦点を当てていたのに対し、LGBTという全体に対する考え方とか、思いをつづっていたものだった。僕は突如として、このとき、この瞬間に雷鳴に打たれたかのように理解した。

 

あぁこれが、多様性だ。確かに、1つの批判などがあふれて瞬時に共有される世の中だ。誰が自分の本当の意見を書いているのなんて、ツイッターを見ていてもわからない。140文字の中に人生を反映させるのは、大変な困難を伴う。そのため、感情はあふれていても、その人が見えてこない。本当に自分の内側の言葉を紡いだものなのか、流れに乗ってしまったものなのか、思ってもなかった感情の発露なのか。そういったものがわかるのがブログという世界であり、多様性を認識できるツールなのだと感じた。

 

僕らは確かに多様性があふれる世界に生きているが、その多様性に触れる機会はそう多くない。多様性を理解するとは、僕とは全く異なった視点を実感することであり、そういった人々があふれている現実を認識することである。なぜならば、大量生産の食料を食べ、大量生産の自動車に乗り、大量生産の服を着ているのである。確かに外見は違うが、本当に中身まで違うものなのかというのを実感することはそう多くないだろう。その人と本当に話しながら、気持ちを通わせない限り、僕との明確な違いを理解することは難しい。

 

しかしながら、ブログというのはその信頼関係なしに、それぞれの考え、思いをつづることで、多様性を発露している。つまりブログというのは多様性そのものだ。その人の人となりを反映している。サボり癖があるもの、細かく考えているもの、わかりやすく考えているもの、そのすべてがブログには詰まっている。きっと海外には海外のブログがあり、いろいろなことをつづっているのだろう。日本に居ながらにして、世界につながることが出来る箱庭の中で、僕らは多様性の海の中を泳いでいる。

 

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。