シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

頑張らずに惰性で生きろ

いつも懸命に頑張っている皆さんご苦労様です。世の中には色んな変革を起こしたり、主人公は自分だとばかりに幅を利かせる人であふれている。あふれているように見せかけの世界が広がっている。そうした人達は主張が激しい。自分の実績や成果を固辞したがる。たいしたことがないことを、壮大に語りたがる。大間違いを正解のようにも語る。語るのが上手い。それを詐欺というかは場合による。ただ、そんな人はほんのひと握りだ。それが幸せの形として、自分にとって本当に最良であるかはわからない。

 

だけども大半の人は日々を過ごすことでいっぱいいっぱいだったり、現状で満足している。日々の糧とほんの少しの幸せがあったりする。悪いと言いたいのではない。それでいいのではないかとふと考える。上等な生活だと思う。ある人は家庭を持ち、日々の出来事をパートナーとゆったり語らう。家庭の形は問わないし、パートナーの性別も問わない。気の合う仲間と日々を語らい糧を得る。それで満足出来ることが多い。

 

なぜ頑張らないといけないのだろうか。なぜ競争しないといけないのだろうか。なぜ常に新しいものがあふれないといけないのだろうか。なぜ物であふれていることが豊かと言われるのだろうか。それはおそらく論点がすり替わっている。誰かがいったり、経済成長させたい人、利益を得たい人が先導しているんだろう。しかし、考えて欲しい。いまなら考える状況だと思う。自分にとっての幸せのあり方ってなんだろう。家族があって、日々の糧が得られて、たまに贅沢が出来て、友人、家族と旅行に行ったりできる。楽しいねって、楽しかったねって談笑する。そうした環境は当然ながら、競争した結果として価格が下がったから得られたものだ。ただ、必要以上に競争する意味があるのだろうか。これ以上家族との時間を削り、健康を削り日々の糧を得る必要があるんだろうか。

 

東のエデンではあがりを決め込んだ大人と揶揄しているが、ある程度の糧が得られたら、それ以上に何かを望む必要があるんだろうか。僕はあがりを決め込んでいいと思う。やりたいと願っている人達の邪魔さえしなければ、それでいい。頑張らなくていい。惰性でいいから辛いことから逃げていいし、ゆっくり日々を過ごせばそれでいい。

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。