シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

なぜだかわからないけど、泣いた

子供が生まれたのは本当にうれしい。以前誰かのブログで読んだが、自分の人生を振り返ってみて、何がもっともうれしかったかといった内容に対して、子供が生まれたときと書いてあった。

 

正直その時はバカにしていた。そんなわけねぇだろって。それ以外にあんだろって。何もっともらしいこと書いてんだよってバカにしていたんだ。バカは僕だった。僕こそがバカだった。すみませんでした。僕はバカでした。きっとこれを読んだ一部の人はバカにするだろう。うん。バカにしていいと思うよ。でもきっと子供が生まれると思う。バカは僕でしたって。バカっていうやつがバカなんだって正しいね。やはりかなり違うものだ。なぜこんな感情になるのか本当に不思議でならない。たかだか子供が生まれただけなのである。それだけに過ぎない。自分と妻に本当にそっくりだけど。それだけに過ぎないことが、こんなにも自分の中で大きな出来事になるとは本当に思っていなかった。不思議だ。

 

子供の一挙手一投足が本当に胸を打たれる。動いている。泣いている。うんこ漏らしている。ミルク飲んでる。単純なそれこそ彼の意思表示らしいものと言えば、うんこ漏れちゃって気持ち悪いとか、おなか減ってたまんねぇとかそんなことに過ぎない。なぜこんなバカみたいな単純なことが、その意思表示だかわからないものを見ることが、こんなにも自分にとって感動をもたらすのか、正直理解できない。きっと今後も理解できないだろう。きっと論理の枠の外に答えがあるのだから。

 

子供が寝ているときに頭をなでていた。すごく小さい頭だ。髪なんか生えたてで、本当にふわふわしている。乳児特有のやわらかな香り。幸せの香り。ほにゃほにゃ鳴く。あ、あ、あって言葉にならない言葉で一生懸命何かを探して、ちいさい、本当にちいさいてで、空中をばたばたさせる。幸せな時間がただ刻々と流れる。たったそれだけのことなのに、なんだかその小さい息吹を本当に目の前で感じで、なぜだか感動して、泣いてしまった。

 

女性なんかは産後に気持ちが不安定になって、泣いてしまったり、辛い気持ちになったりすると聞いた。それだから、妻には常に気を配っているし、赤ちゃんが鳴いてしまった時に、怒ったりしないように注意せねばとかなり気にしていた。そうしたことはいまのところ起きていない。ただ、気になって気になって仕方がない。彼はちゃんとミルクを飲めているだろうかとか、呼吸をちゃんとしているだろうかとか、体温はきちんとあったかだろうかという本当にささいなことを気にかけるようになった。

 

同時にすごく怖くもなった。僕は本当に彼の成長をずっと見守りながら、働くことが出来るのだろうかって。仕事は忙しいけど、しょせん仕事は日々の糧を得るための道具に過ぎない。彼の健やかなる成長を見守ることと、自分の将来なしえる仕事を天秤にかけたときに、果たして本当に僕の考える矮小な仕事が、彼の成長を見届けないというものに釣り合うのかと考えるようになった。仕事が忙しくなるときっとそういったことは起きてきてしまう。そう考えた時に、僕は正直自分の中で出世欲というものがなんだか本当に矮小なものに感じるようになってきた。出世することにそれほどまでに固執しなくていいなって。彼と妻との楽しい生活のために、彼が将来やりたいことが見つかったときに手助けできるだけの糧が得られることこそが、なんだか僕の中で大切なような気がしてきた。わずか2日でこれだから、本当に子供というものは偉大なんだな。変わるかもしれないが、今のところそんなことを考えている。

 

彼の本当に片手ですっぽりと収まるほどのちいさなちいさな頭をなでているうちに、僕はなんだかそういったことを考えてしまった。大切な小さな命が懸命に生きているさまを見て、なんだか本当に切羽詰まって頑張っていた自分が馬鹿らしくなってしまった。ちいさなちいさな命だが、ほんとうに大きな大きなことをいっぱい僕に与えてくれている。そうしたことに気づいて、とめどもなく涙があふれて、嗚咽をしてしまった。大の大人が恥ずかしい限りだが、なんだか胸のつかえがとれるような、頭のしこりが外れるようなそんな不思議な体験をした。

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。