シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

本と新聞を読め

はてなインターネット文学賞

 

インターネットという環境が整って本当に便利な世の中になった。これは誰も否定しない共通認識だろう。SNSを通じて、いろんな人と距離や年齢層を無視してつながれるようになった。店舗で販売されていない便利なアイテムを、即座に購入できるようになった。ニュースサイトで情報が瞬時に拡散されて、テレビで報道されるようになった。これまで専門家しか知らなかったような情報が、いまでは子供でも知っている情報になった。そんな中で違和感を感じることが増えてきた

 

 

過熱しやすくなった報道

メディアの報道がとっても過熱しやすくなった。テレビ、インターネット、SNSが特にこの傾向が強い。同じ情報が繰り返し、繰り返しものすごい勢いで、そのニュース以外この世の中で何も起きていないくらい報道されるようになった。この動きは本当に最近だと思う。少なくともここ10年くらいの話。

 

日本人は優しくて親切って報道のかたわら、SNSでは特定の誰かをたたく攻撃的な情報がシェアされている。SNS上で袋叩きにあい、痛ましい事件が発生するようになったのもここ最近の話。情報の主導権を個人が握るようになった。拡散には個人が加担する。その加担の数が高いものが重要な情報であり、本当に知るべき大切な情報にすり替わった。

 

大切な何かを置き去りにして、情報は大きく炎上し、急激に過熱する。発信した人も、拡散に加担した人も置き去りにして、大炎上を繰り広げる。止めることができずに、ただ呆然と目の前の騒動を見守るしかない。

 

急速に冷え込む報道

情報の過熱がひとたび始まると大きく炎上していくのに対し、ある日突然燃料切れを起こしたかのように、情報がまったく拾えなくなることが増えた。それまでは繰り返し報道されていて続きが知りたかったりするが、トップニュースで扱われていた続報が、夕方のニュースの今週の出来事程度にしか扱われない。

 

異常なまでの大炎上の後には、何もなかったように急速な冷却が今度は始まるのである。ひとたび冷却が始まると、その情報の続報を得るのは難しい。誰も数字が取れないものをシェアしないし、拡散しないからだ。

 

しかし情報というのものはそういった扱いでよいのだろうか。もしかするとどこかには続報が続けられているのだろうが、あまりにも情報に対して極端な扱いが増えた。

 

超高速情報消費社会

SNSやニュースの極端な過熱、極端な冷却を通して、情報や流行が超高速に消費されていく社会になってきた。それも数字が取れるものが先行して拡散され、極端な個人の変調気味な情報が重要視されてきた。

 

インスタグラムで映えを意識し、ツイッターでバズを意識し、フェイスブックでいいねを目指すような情報は、これまでに経験したことのない極端なものが好まれる傾向にある。そういったもの以外は興味を持ってすらもらえない。

 

これからは個人のインフルエンサーが、情報の価値を左右するようになる。ひとたび拡散が始まると急激に過熱し、急激に冷え込む。次のネタを探すためにまた新しい偏った内容を拡散する。間違ったものも、一見ただしそうなものも、善し悪しを考えず拡散、シェアされる。こうした変調気味な情報配信を目指すのが、悪いと言っているのではなくて、主要メディアまでそうした情報を取り上げることが問題だと思う。

 

なので、検閲や校正をきちんとされている新聞【日本経済新聞など】、本の情報を吟味すべきだし、情報の正しさを個人で判断できる能力がこれまで以上に必要になった。

 

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。