シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

寝グソを漏らすと悟りが開けるライフハック

人生とはかくも儚いものなのかと、ぐっしょりと濡れたパンツをはきながら、僕は感じていた。あたりに立ち込める据えた臭い。そこはかとない悲しみと、哀愁いや哀臭立ち込める部屋の中で、大きい体を小さく震わせながら、僕は呆然としていた。ほほを伝う一筋の液体。あぁ。漏らしたのか。それも大の方を。すべてのことがどうでもよくなり、僕はその日1つ大人になった。幸いにもフローリングに寝ていた際に起きた出来事で、布団に被害がなかったのは救いだった。きっと神はいる。

 

バラムツという食べると肛門がいうことを聞かなくなる魚がいる。それはバラムツの体が、ワックスエステルという人には消化することができない脂で作られているためだ。そのため、バラムツを食べるのは自己責任とされている。よくそういった魚をたべることで、会社の中や駅などで漏らし、社会的責任を問われる事態に追いやられたという記事を読んだことがあった。なんたる愚かで、無謀な考え方だろうと考えていた時期も僕にはあった。彼らはなぜ肛門が制御不能になることがわかっていながら、そのような無謀な挑戦を続けるのかと。

 

原因はわかっていた。バラムツが原因ではないことをはじめに断っておく。しかし、同種の出来事だった。僕は日々グルメの探索に精を出している。日々ネタを探して、いろいろな食材、特にこれまであまり見向きもしなかったものから、オーソドックスなものまで新しいことに挑戦する日々を送っていた。ある日、宇都宮駅のスーパーで牛骨についたカルビ肉の冷凍を見つけた。価格は非常に安価で、処理自体もそこまで難しくなかった。牛骨であるし、肉もまばらながらついている。何か新しいものが作れれば、金額を抑えながら、おいしいものを食べることが出来るだろうと、意気揚々と持ち帰った。

 

その日はまず簡単な方法で調理を行い、食材として便利であれば、再び購入していろいろ試してみようとすべてをゆでてみた。簡単に骨を活かす雑炊など作ってみようと考えたんだ。骨と肉から大量に出た牛骨のエキス。非常にうまく作れた。あっさりしているが、牛の脂が出ており、パンチもあった。ちょっとギトギトが気になったが、特に気にしなかった。問題なのは、このスープをすべてその日食べきってしまったことだった。スペアリブなどもっと大量に食べないような調理をすべきだった。

 

しばらくして異変が起きる。ごろごろと腹が鳴り、トイレと友達になった。少ししてはごろごろ、ちょっとしてはごろごろ。尻が擦り切れるほどトイレが近くなった。これはまずい。やらかしてしまった。腹を壊した。冷えた食器から大量に浮き出た脂。たとえ食べることが問題のない食材でも、過ぎたれば及ばざるごとしなり。それを体現していた。食べすぎた。おなかが痛い。痛いよ~と転げまわった。しばらく安静にし、腹の痛みが治まってきたので、僕はそのまま寝てしまおうと考えた。明日にはよくなるだろうと淡い期待を寄せていた。

 

そして、事件が起きたのであった。寝グソは初めての体験だった。便意で目を覚まし、異変が起きていることに気づく。尻が湿っている。しかし、前は濡れていない。まさか。そのまさかだった。神は死んだ。トイレに駆け込む、尻から水が大量に出てくる。そして、しばらくすると便意も痛みもやみ、漏らした事実が残った。昔のコントで漏らした演技を見たことがあるが、それは悲しみを前面に出したものだった。実際にはそのような状態ではない。悲しみと貴重な体験をしたというある種の達成感、自分の身に降りかかった問題への虚無感が胸に去来する。複雑な心境である。そして、布団が被害にあってないことに安堵し、神の存在を再び確信するに至る。僕はパンツとズボンにお別れを告げ、この日1つ解脱をするに至った。すべての生きとし生けるものに感謝し、これまでの些末な問題を忘れた。僕のズボンの中で起きた破壊と再生の物語を目の当たりにし、突如降りかかった不幸に呆然としたが、救いを確信し、決意を新たすることが出来た。

 

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。