シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

自分を変えるのはいつだって他人だ

考えることがやめられない。

これは決して自分の頭が良いと言いたいわけではなくて、会社の出来事をフラッシュバックで考え続け、明日何言わなきゃいけないんだとか、あれしなきゃいけない、これしなきゃいけないをぐるぐる考え続けてしまう。やめなきゃいけないとわかっているんだが、ふとした瞬間に思い出す。頭は疲弊するが、不安感から抜け出せない。もっとうまいやり方があるんだろう。効率よくうまい具合に切り抜けている若い人を見て、自分の融通の効かなさに辟易する。すぐに薄暗い感情に突き動かされるのは、僕の仕様で、一体全体自分がなんの役に立つのかとまたうつうつとしてくる。輝く人物がいるほど、一層自分の情けなさが色濃くでる。彼らが活躍すれば楽になる一方で自分が情け無いことが明るみに出て、おかしい。

 

これはきっと考えてばかりで、行動に移さないからであって、わかり切っているはずなのにやはり行動にうつらない。いい加減にしてくれといつもおもう。きっと理想が高すぎて、短いゴール設定や簡単な課題設定、シンプルに物事を考えることが苦手なのだろう。分析ばかり得意で、天狗になり、解析の結果出てきたものに手をつけないというこっけいな1人相撲を繰り返す。この時間があればいったいどれほどのことができたのだろうかという考えが頭をもたげてきて、また辟易する。

 

仕事でも楽しいより、心配が先に立ち、これしたら面白くなるかもとか、楽になるかもではなく、どうすればいまの状況から抜け出せるか、出来るだけ変更を少なく乗り切れるか、不具合が発生しないかなどが先に立ち、せっかくうまくいっても安堵が先に立ち面白くない。失敗を恐れるあまり、うまくいく方法をみつけることばかり上達し、陰気な満足を満たしている。

 

変わらなければならないと思った。自分が不器用な性格で、神は細部にやどるということをきっと心情としているのだろう。しかし、自分を変えるのは自分ではない。矛盾しているようだが、自分はそう簡単に自分自身では変えられない。ひとまず旧友に連絡を入れてみろという妻の言葉に従ってみたら不思議なことにたわいない話にすぎなかったのだが、心がすっきりしたから本当に人に恵まれているなと改めて思った。