シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

人を助けるためのアプローチってなにがあるだろうか

人を助ける方法というのはどのような方法があるだろうか。漠然としたことを書いているように思うが、実はこの状態って普通だったりする。海外の人に対して支援していることに関して皆さんがどれだけ知っているだろうか。子育てをしている夫婦がなやんでいることを皆さんはどれだけ知っているだろうか。友人が勉強、家庭についてなやんでいることは?仕事がまったくすすまないけど、後輩や一緒にやっている協力者のアウトプットがよくない場合は?人を助ける方法はなんだろうかという問題に立ち戻るのである。漠然としているが、漠然としたところから出発しなければいけないのが現実だ。

 

人を助けるときには距離感が重要である。距離が近ければ近いほどできる支援の幅が増える。逆に距離が遠いと支援の幅が狭くなってくるため、距離を縮めるところから始めないといけないのが支援の難しさなのかと思う。こういった話をしたときに、規模が違うとか状況が違うという人がいるが、本質的な考え方は僕はまったく変わらないと思う。子育てに困っている夫婦に対する支援と仕事がうまくいかない部下に対する支援のやり方は変わらない。規模が大きくなるとプロセスだったり、問題の本質、支援の仕方が変わるかもしれないが、基本は同じなのではないかと考えている。

 

人助けをする効果的な方法はなんだろうか。僕は直接的なプロセスがもっとも重要だと考えている。間接的なプロセスと直接的なプロセスの違いを説明しよう。よくコンサルティング会社の人が自分の時間を必要以上使わずに効率的にやろうという話を書いているが、僕は的外れだと思う。なぜなら結局進まなくて困るのは自分なのだ。部下だけではないのだ。時間は戻らないので、限度はあるが踏み込まないと問題は解決できない。

 

間接的なプロセスというのは、アドバイス、金銭的な支援、物品の支援などだ。問題の直接解決に影響しているか不明であるが、先立つものは金だし、ものだという考えは理解できる。それに対してアドバイスするというのもわかるが、こうしたものは問題の根幹が分かっていないのに金を出しても効果はない。問題の本当の部分は金では解決できないものが多い可能性が高い。よく政治家が金をばらまいていると思うが、彼らは支援をしているつもりなのである。金を得られることは確かに一定の効果はあるかもしれないが、弾が継続的に注入されない限り効果は薄い。僕はよく周りの人がやるのは、この間接的なプロセスを実行している場合が多いのではないかと思う。自分の時間の持ち出しを低くし、効果を最大化したい場合に用いられているのではないかと思う。

 

直接的なプロセスというのは、技術支援、共同参画などが伝わるだろうか。問題が起きた場合に一緒になって解決にあたる方法だ。アドバイスを含むし、金銭的なものもあるが、問題の解決を直接一緒に行うことがミソだ。時間の持ち出しは多いが、効果が得られれば相手からの協力が得られやすく、仲もかなり深まる。僕は主にこの直接的なプロセス(具体的な手法があるわけではないが)を行うことこそが問題解決、ひいては連携するために必要な行為なのではないかと考えている。相手を切り捨てないプロセスだ。例えば僕なんかはいま子育てをしているので説明しやすいが、金をもらったり、アドバイスをもらったところで、夫婦の時間が猛烈に減ってしまってほかのことができないということに対して、まったく効果はでない。それよりも子供をいっとき預かってもらってその間に申請を行ったり、家の大規模な掃除をしたりするほうが良かったりする。これは直接話をして、効果的な対策を一緒に考えて実行に移した結果だ。子供を預かるというのは簡単ではなく、時間的な持ち出しは非常に多いがもっとも感謝するところだ。金銭的な持ち出しは非常に少なくなる。

 

わかりにくいかもしれないので、今後とも何度か考えを整理して書いていこうと思うが、人を助けるにはどうしたらよいのかという漠然とした問いかけに対して、どうやらやり方は2種類あることがあきらかになりつつあるということが理解してもらえたらそれでいい。何もわからない状態から、どうやってアプローチすべきかがおぼろげながら見えてきた。アドバイスを行ったり、お金を渡したり、計画を書かせても効果が出ない場合は一緒になってその問題がなんであるか、問題を解決するにはどうしたらよいのかをともに考えるべきだ。そうしないと結局からぶってしまう。