シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

貧困街の人々

いつだって金に苦しめられてきた、会社を始めた初期は資金繰りに苦しみ、銀行からはそっぽを向かれた。投資家からの資金投入のおかげでなんとか会社は持ち直し、業績は回復。その後は順調に成長を遂げ、今や誰しもが知っているIT企業へと名乗りをあげるまでに至った。成功してからは、毎日浴びるように酒を飲み豪遊した。Youtubeへの出演や企業、大学での講演、本の執筆のおかげで、今や私を知らない人は日本にはいないだろう。皆私をたたえてくれる。私は成功者だ。だがこれだけでは足りない。より広く私を認知してもらう必要がある。海外にも進出し、私の成功体験を世界に発信し、財を集め尊敬を集めたい。ずっとずっとあこがれられるそんな存在になっていきたいんだ。私は歴史に名を残すような起業家でありたい。そんな感情にずっと支配されている。

 

しかし、いつからだろう。企業を立ち上げた仲間たちは1人また1人と私のもとを立ち去り、妻とは離婚したため子供も家族もなくしてしまった。私はいまや世界に1人として気を許せる仲間が存在しない。成功をおさめ、財を成し、安定した生活が手に入れられたというのに妻は私のもとを去ってしまった。ほとんど家に帰らない私に見限りをつけたのだろうか。ありもしない浮気をでっちあげ、慰謝料をぶんどってどこかに消えてしまった。子供と一緒に。

 

夜に恒例の飲み歩きを行っている。自分の企業に属する若手や、セミナーへの参加者たちに食とはなんであるか、本当にうまい飯とはなんであるかを伝えたい。金さえあれば何でもできる。世界の美食を味わい、世界の酒を味わい、私の手に入らないものはこの世界には存在しないことを知らしめたい。若い人々から尊敬を集めるのは気分がいい。みなぎらついた目をしている。私を見る目。虎視眈々と私の懐を探り、愛人になろうとするもの、取り入り秘密を探ろうとするもの枚挙にいとまがなかった。

 

最近は少し疲れた。私をみつめるあの目。自分と同じように成功を集め、活躍したいという欲望の目。財布の中身をかすめとろうとする盗賊の目。だまして金を巻き上げてやろうとする詐欺師の目。そんな濁った眼の持ち主以外、私の周りには存在しないことが分かってきた。自分で考え、自分の能力で勝ち上がろうとする活力のあるものはなく、どうにか私に取り入り、私を抱き込みたい下心が見え透いている。SNSでも私の写真や動画が詐欺行為に使われ、悪意のある発言が私に寄せられてくる。貧乏人のひがみだ。そう一蹴してきた。

 

疲れたときには、夜にふらりと散歩に出ることにしている。夜の街はいい。私の顔を知っている人は多いが、薄暗く見えにくいため、すぐに私と気づくものは少ない。みなよいどれよいどれ歩いているため、頭がうまくまわっていないというのもあるのだろう。私にとっては都合がよかった。私としるやいなやみなあの濁った眼になってしまうためだ。盗人と悪意の目私の大嫌いな目に変わってしまう。

 

夜の活気にあふれた街。飲み屋が乱立し、煌々と照らされている。皆赤ら顔で夢を語り、くだをまき憂さを晴らす。かつての美しい光景。哀愁と活気の冷気と熱が私の胸に同時に去来し、反目する感情から目をそらせずにいると、1件のバーを見つけた。これまでこの通りは何度も通ったが、こんな店があったのか。ぽつんとたたずむ古びた扉。かといってその使い込まれためっきのはげたドアノブを見ると、人の出入りは多いようだった。大きな分厚い扉だ。ドアノブをひねるとぎっと音が鳴り開く。中は薄暗かった。酒とこれは珈琲の香りか。不思議な空間だった。

 

中央に踊り場があり、光が当たっている。よく見るとひとりの女性がたたずんでいる。彼女に注目が集まっている。あたりはシンっと静まり返り、彼女の動静が気になるようだった。目が離せなかった。背丈は小さいのだが、存在感のある女性だった。化粧は薄くされており、ほんのりと口元が紅く染められている。ただそれだけだった。服装に変わった点はなく、ただ彼女の存在だけが浮き彫りになっている。

 

そっと彼女の口が開かれる。

おいでよ ミロール

かけなさいよ 足のばしてさ

なにもかも お任せな ミロール

不思議そうな顔しないでさ

あんたは顔見知りさ ミロール

港みなと渡り歩く 私だもの

 

あんたは昨日 綺麗な娘に

腕をまかせて 通っただろう

楽しそうに 幸せそうに

笑いながら 私の前を通り過ぎた

あの娘は まぁ本当に綺麗な娘だったね

おいでよ ミロール

かけなさいよ 足のばしてさ

なにもかも お任せな ミロール

不思議そうな 顔しないでさ

あんたは顔見知りさ ミロール

港みなと渡り歩く 私だもの

 

みんな誰でも 堅く堅く愛し合おうと

いつの日かは はなればなれに

別れるもの

愛はかなし

さりとて愛は 捨てられない

さあ あんたに幸せとやら

差し上げようか

 

おいでよ ミロール

うぶなあんた 可愛いミロール

優しくして上げよう おいで

恋の歌もうたおう ミロール

私の顔見ておくれよ

あら あんたは泣いているのね

 

ミロール どうしたのさ

ミロール 笑ってごらんよ

もっと上手に しっかり しっかり しっかり

そう そう そう…

ほら もっと上手に笑って

一緒にうたおう うたって

ララララ…

一緒に踊ろう

ラララ…ブラボーミロール

笑ってミロール

ラララ…ブラボーミロール

一緒に踊ろう

ラララ…アンコール ミロール ラララ…

 

シャンソン:ミロールより引用

 

彼女の口が開かれると力強く、美しい歌声で曲が紡がれていく。この歌はなんだろう。芸術に疎い私には何の歌だかわからないが、のちにシャンソンであることを知った。ただ、彼女から目を離せずに呆けていると、奥から男性が歩み寄って、席に案内された。ここはどういったお店なのですか。私が訪ねるとボーイの男性は、お客様に歌とお酒と珈琲を楽しんでいただき、都会の喧騒から逃れる場所を提供しています。とのことだった。変わった店だ。珈琲と歌だけを提供するのであれば、喫茶店営業許可だけで事足りる。わざわざ費用の掛かる酒まで提供する必要がない。

 

そのことを伝えると、歌といえば酒が楽しめないとというのがマスターのポリシーなようでしてと苦笑いしていた。マスターは下戸の癖に人のことを気遣って酒の提供も行っているようです。お客様からのリクエストだとか。珈琲はマスターの趣味ですね。ずいぶん変わった人物のようだ。効率、効率で生きてきた私とは違う世界の住人だなとふと考えがよぎった。

 

彼女は、非常に魅力的ですね。プロの方なのですか?続けざまにそう質問した。いえ。駆け出しの方です。ただ、駆け出しのシャンソン歌手の方はこういった歌が歌えるお店に所属している方が多いと伺います。彼女はマスターが見つけてきた新人の方で、ただ生活はかなり苦しいと漏らしておりました。そんなものを続けて意味なんてあるのでしょうか?ふふ。もう少しで歌が終わると思いますので、彼女に直接お伺いください。できれば、ドリンクと食事をセットで頼んでいただけると、彼女の口も饒舌になると思いますよ。ボーイの口車に載せられ、せっかくなので自分の分と彼女の2人分の食事を注文し、彼女を席に案内してもらえるようにお願いした。かしこまりました。

 

歌い終えた彼女が席へと案内されてくる。はじめまして、こんばんわ。いい夜をすごしていますか?私は美鈴って言います。本日はお招きいただき、ありがとうございます。ぺこりと頭を下げた彼女はさきほどとは打って変わって幼さが残る快活な女性だった。あの失礼ですが、おいくつですか?ことしで22歳ですね。はきはきと答えてくれる。ここである疑問がふとわいてきた。失礼ですが、私のことをご存じだったりしますか?いやだ。ナンパですか?あったことなんてありません。初めてお会いしましたよ。そうですか。いえ、知り合いに似ていたものですから、どこかでお会いしたかと思いました。(私のことを知らない人なんているんだろうか。結構頑張ったんだが)。

 

やだ。お客さん。しょんぼりしないでください。もしかして有名な方ですか?私本当にお金がなくって、家なんかもシェアハウスですし、携帯もテレビもうちにはないんです。えぇ!!いまどきそんな状況ってあるんですか?からかわないでください。いえいえ。本当のことなんです。音楽に関係のあるもの以外は手元に残ってないんです。私は歌手を目指しています。とはいっても本当は音楽の大学に通っていたんですが、父の事業が失敗してしまって、いっきに無一文。両親はそれを苦にして蒸発してしまったんですが、幼い弟を養っていかなければいけないので、弟には申し訳ないんですが、せめてテレビだけでも買ってあげたいな。いろんなものを生活するために売りました。家財の一切合切。でも音楽だけは捨てられなかった。私にはこの五体満足な体があります。それからつたないですが、音楽の知識。これだけでもありがたいことにお金を稼ぐことができます。かつかつですけど、なんとか弟を食べさせてあげられています。

 

ご苦労されてるんですね。ふふふ。つらいなんてもんじゃありません。でも少しずつ、私の歌を認めてもらえて、弟が元気に学校に行けて、なんだかそれだけなんですけど、私とっても幸せなんですよ。ご飯も満足に食べられない日があるのに本当に不思議。私の手元にはなんにもないけど、私の心はいつだって満たされてるんです。私には私の持ってない景色を見つめる彼女がスポットライト以上にまぶしく映った。私の手元には財布が握られていた、これ少ないですが、チップです。えぇ!!いただけません。これ以上は。それに私ってお金をもらえばなんでもするような器用な女じゃないんです。勘違いさせたのであれば、謝ります。私にはあなたの持っている景色がとてもまぶしく映ったんです。これはその気持ちだったのですが。ふふふ。お客さん本当にお金持ちなんですね。でも全然わかってない。自分の身の丈に合ったお金をもらわないとそのお金ってどんどん飛んでってしまうんですよ。だから今回はお客さんがくれたお食事だけで十分。また通ってくださいな。それで、私の歌を宣伝してください。認められた時にはじめて私は私の身の丈に合ったお給金が増えていきます。

 

彼女とそんな話をし、次回の出演日を教えてもらい、家路についた。何かが変わったわけではない。1人の私を知らない女性に出会い、そして元の生活に戻るだけだ。しかし、私の目に映る景色は新しく映った。これまで知らなかったものが新たに分かったこの感覚。久しく忘れていた。知らなかった状態からわかった状態になったときにはじめて世界は見え方を変える。より複雑により不気味に。これまでは嬉々としてそんな世界に足を踏み入れてきたが、私がこれまでに捨ててきた者たちが亡霊のように足元に見えた瞬間、もう取り戻せないそれらを見つめて戦慄した。しかし、遠くに見えるきらきら光った原石。この宝石だけが、僕のこれからの人生を照らす道しるべになるのかもしれない。また彼女のもとへ戻っていきたい。

 

またね!

https://cdn.user.blog.st-hatena.com/default_entry_og_image/156690774/162143756123927