シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

自分の考えたこと、感じたことをフレッシュな状態で残すことの意義

昨日の自分は他人です。

 

自分で文章を書きながら、僕は片っ端から忘れていく。その時感じたこと、その時考えたことは思いついたときから数秒でも遅れると過去のものであり、鮮度は薄れ始めてしまう。どんどん腐っていく。ゾンビとして生を受け、そのお腐れがどんどん広がってどうしようもない。腐った言葉はいくら積み重ねたところで、生ごみにしかならない価値のないものであるが、ゾンビとして生を受けた以上全うさせないといけない。

 

可能な限り鮮度を保つ必要がある。時間との戦いだ。ちょっとでも遅れるとまずテンションが落ち始める。思いついたその時には神が僕にささやいたような錯覚に陥り【錯覚と書いている時点でらりっているのは間違いない】、見直した途端不安に陥り、夜に見直すと冷めきった夫婦のようになる。そんな情緒のジェットコースターのような僕のテンションである。けっつからひりだした時にはすぐに文字にしないと、本当はもっと素晴らしかったのかもしれないし、もっと怒っていたのかもしれない。そうした感情の爆発や、思考の加速を逃すわけにはいかない。ただでさえチョロQのような馬力しかないのだ。

 

僕は凡人であるので、神がささやくことなどない。そんなどこの清楚な巫女だかわからないようなありがたさは僕にはない。本当の僕を見たら驚愕するくらいつかれきったおっさんだ。ふとっちょでちょっと汗をかいたおっさんである。そんなおっさんが巫女の真似事などできるわけはなく、神ではなく、紙がはためいた幻聴なのかもしれない。しかし、それでも思いついたものはすぐに実行に移さねばならない。実行できないとどんどんその時の感情は希薄になり、冴えはただでさえ薄いのにさらに薄くなり水のように澄んでくる。澄んでくるのだからそれこそ神々しい文章になるかと思いきやそうではない。神々しい文章は人をひきつけない。

 

なぜなら僕らは市政にいきる住民である。ちょっとくらいどぶ汁のほうが良いのである。他人のどぶは蜜の味といわんばかりにどぶ汁を煮詰めたようなくっさい汁がお好みなのである。どぶ汁を煮詰めくそにする。くそを煮詰め毒にする。毒をまいて薄めて、社会にとっての薬とする。ゾンビから湧き出たどぶ汁など大好物だろう。おっさんの汁はいらんかね。いらないね。うん。僕もいらないや。かっこいい男の子の汁のほうがいいね。描写も違うもんね。

 

できるだけ鮮度の高いどぶ汁という何を書いてんのかわからないが、可能な限りのどぶ汁の臭さが感じるように、鮮度が命だ。腐ってるのに鮮度が高いというのはそれこそ意味不明だが、腐った死体は防御力の低下が著しい。文章を書くのにも精神力がいるし、勢いが必要だ。調子に乗りたい。調子に乗って書き上げてしまいたい。書き上げて公開して、後悔する。情緒不安定のジェットコースターが、ジェットストリームアタックである。幸いなことに読む人が少ないのが救いだ。救われているのか、殺されているのかわからないが僕は生きています。

 

 

またね!

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