シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

金は儲けたいと思うときには得られず何かを成し遂げたときに勝手に集まる

人を出し抜き、個人の財産を増やすことに意味なんてあるんだろうか。使いきれない財産を得た先に到達する幸せは、本当に自分が望んだ渇望した幸せなんだろうか。僕は常に渇望している。渇いているが、その目的が分からずに自分の中にある答えと大いなる矛盾に苦しんでいる。

 

僕は広告を外した。収益をあげることを目指すのをやめた。そしてアクセス数をカウントすることをやめた。近頃はFireとか言われているが、若いうちに財を成し、働かずに収入を得ることを指すようだ。そういった働かずに収入を得ている人は一定数いるが、イーロンマスクを見る限り、財産を得たとしても懸命に働く人々が存在するのも事実だ。

 

確かに金は欲しい。なんのために金が欲しかったのかというと、仕事を辞めたいというのが1つと、妻と子供と過ごす時間をたくさん得たかったからだ。しかし、それを目指したいがために別のことにうつつを抜かし、妻や子供と過ごす時間を削るのでは本末転倒だ。手段が目的に入れ替わっていた。しかしこれが一気にまたアクセスが増え、収益が上がりそうってなると猛毒のように没頭するのだろう。金にはそれだけ人を引き付ける魔力がある。

 

金は猛毒だ。毒は薬にもなる。よく使われる言い回しだけど、毒には変わりない。毒によって人は簡単に命を落とす。程度の良いストレスが生活に潤いを与えるように毒は微量であれば程度の良いストレスということだろう。正確には毒の作用によって、化学的に出る反応粒子の濃度が微量であれば体に良い影響があり、過剰であれば絶命するそんな閾値の話だ。程度の良いところで抑える必要があるということでもある。

 

身の丈に合わない財産は身を亡ぼす。自分には自分が受け止められる容量がある。挑戦して得た先の報酬とは異なり、だれかを追いやったり、寄生虫のように過ごした先に得られるものなどたかが知れている。これは人に伝えているわけではない。自分の思考を整理するために自分に言い聞かせている。ほかの人にも同じことが当てはまるのであれば、同じように考えていただいて差し支えない。

 

金を得ることをやめろと言っているのではない。金を得るというのはあくまでも幸せを得るための手段であって、金を得るということを目的にする意味はないということがいいたい。金は純粋な武器であるし、最も強い猛毒である。簡単に命を奪うし、簡単に手に入ることはあっても、一定数以上は手から零れ落ちていく不思議な存在だ。

 

そして金を得ようと奔走するよりも、何か別の誇れるものを成し遂げたときに自分の中の受け取れる容量が増え、その容量に合わせて報酬が増えるという不思議な関係を持っている。そのため自分の中のやりたいことや得たいもの、幸せになりたいファクターを全うして初めて金が得られるようになる。金集めをすることよりも自分のやりたいことを成し遂げたときにはじめて金が勝手に集まってくる。

 

金というのは本当に不思議だ。

 

またね!

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