シン・春夏冬広場

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水田のいま

四季を感じるものはなんだろうか。春は花が咲き、夏は大きな入道雲、秋は紅葉、冬は雪。移りゆく景色を眺めることで四季を感じることが出来る。

 

栃木に移り住んで、10年以上が経った。栃木は自然が非常に豊かで、豊か過ぎて、ヤブが多すぎて逆に恐怖を覚えるほど、手付かずの自然が残っている。人の手が入っていない自然というのは、中々に危険である。ハチやヘビは普通にいるし、不法投棄されたようなゴミも目立つ。ヒルなどもいるだろう。手の入っていない自然というのは、豊かであっても恐怖の対象だ。山登りなどもしたが、ほんとに管理されているのか、不安になるような険しい場所が多い。

 

栃木にはサシバの里という場所がある。サシバとは猛禽類で小型の鷹だ。春から夏にかけてやってくる渡り鳥で、市貝市で繁殖する。谷津田(ヤツダ)と呼ばれる林に囲まれた丘陵地の谷に田んぼがある形を取り、カエルやヘビをエサとしているサシバにとっては都合の良い地形だ。こうした水田が市貝市には多い。そのため、サシバは繁殖しやすい環境が整っている。栃木は非常に水が綺麗で、醸造所が多い。サントリーウヰスキー工場や洞窟酒造が上流側に位置している。さくら市那須市、日光市などに拠点が多い。水が綺麗な状態を保つために有機農法をとっていれば、収穫は厳しいかもしれないが、動物の環境を守ることが出来る。手付かずの自然を一次的な自然、手の入った自然を二次的な自然という。水田は二次的な自然である。

 

僕にとって四季を感じる場所は、もっぱら水田である。春ごろには、田んぼに水を張り出す。田植えはだいたい4月から5月ごろに行われている。夏には青々とした穂が芽吹き始め、夜に通りかかると、カエルの大合唱が聞こえて来る。ゲコゲコという愛らしい鳴き声ではなく、ヴェゴヴェゴと轢き潰されたかのような、恐ろしい鳴き声がそこら中から聞こえてくる。秋には金色にかわり、頭を垂れる。風が吹いてたなびく様は、金色の海原を見ているかのようだ。冬には水が干からび、刈り取られた頭が残されている。栃木という場所をとっても、刈り取り方法は多岐にわたる。この刈り取りを見るのが中々に面白い。多くの場所では、刈り取った稲をV字にかけ乾燥させる。家畜を飼っている場所は、ロール型に巻き取る。稲ではないのかもしれないが。面白いところでは、小屋のようなものを建てる。こうした場所ごとに微妙に違いがある。刈り取りの豊穣を祝う歌が、地域によって様々あり、そう言った歌を聞くのが面白い。

 

水田は米を育てるための重要な役割を果たすだけではなく、僕らの文化、生活環境に密接に結びついている。しかし、こうした田園風景は少しずつだが、消えてきている。日本では離農が増えている。原因は後継者がいないことに加え、新たな担い手になる新規参入者が少ない。背景には野菜などの生き物を扱う難しさに加え、その割にはもうけが少ないことが考えられる。契約農家や身入りの多い果実類は増えても、違いの出しにくい野菜類や米などは厳しい状況だろう。

 

それに加えて、特定外来種ジャンボタニシの繁殖、温室効果ガスのメタンの発生、温暖化の影響により、水カマキリ、タイコウチタガメゲンゴロウ、イモリなどの水性生物はほとんど見ることが出来なくなった。かつての水田はいまは見ることができなくなってしまった。水田の用水路などに繁殖していたこれらの生物はいまや絶滅危惧種にしていされている。ほんの20年くらいのあいだに、確かに僕らは豊かになったが、本当に自分達のためになることだったのだろうか。携帯を片手にそんなことをつぶやく僕に、果たして世の中を批判するだけの説得力がこの手にはもはやありはしないだろう。