シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

気持ちが沈んだときはおっぱいがいっぱいの歌を口ずさむとちょっと元気が出る

僕は心が打ちひしがれたとき、おっぱいがいっぱいの歌を口ずさむ。ほとんどうろ覚えなんだが、おっぱいがいっぱいおっぱいがいっぱいと口ずさむとなんだか元気が湧いてくる。なんて言ったっておっぱいがいっぱいあるんだ。最高なことこの上ない。こんなこと書いていたら、Google先生からいよいよ警告されそうな気もするけれども、まぁ聞いてください。なくなったらなくなったとき考えますわ。なんてドスケベなんだろうと思うが、まぁ健全な男子なんてたいていエロいさ。エロイムエッサイムさ。知ってる?エロイムエッサイム。

 

ただ、この歌はちっちゃい男の子がお母さんのおっぱいに対して語っている風の歌であって、純真無垢な思いを込めている歌詞である。決してやましい山下さんではないのである。そうなので、僕の心の中には母性への慈悲が込められているのであって、助平な気持ちが込められているわけではないはず。男はみんなド助平と書いたが、僕の心がすさんでいるときはむしろエロいことよりも癒しを求めている。どちらかと言えば、性欲より愛を求めているのである。それは以前書いたエロ画像をずっと見ていると気がめいるのに似ている。弱っているときにはエロよりも癒しを得たいのである。あぁ女神様なのである。

 

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なぜこの歌なのかわからないのだが、窮地に追い込まれた哀れな社畜という名の子羊は、逃げる先に愛を求めている。いや、子豚か。この豚めぇ。ブッヒー!!

 

それはキャバ嬢のねーちゃんだったり、ちょっとエッチなおねいさんだったり、嫁さんだったりするのだが【お前死ねよという言葉は聞こえない振りします。本当に死ぬので、優しく扱ってください。】、母性による癒しを求めている。フェミな人たちからしてみたら、僕なんぞごみクソのカスだと思っているのだが、自覚はあるのだが、金はあるので癒しを求めてしまう。金で解決できるのであれば、これほど簡単なことはこの世には存在しない。無駄遣い上等なのである。でも安いところを選ぶけど。

 

男性は母性に弱い。母性の象徴とは乳であり、太ももであり、尻である。僕はそんな中で乳に対して並々ならぬ母性を感じているのだろう。かつて抱かれていた母を思い出しながらなのか不明ではあるが、乳に対して母性を感じているのは確かである。その乳にたいして思いを込めた歌となればなおさらである。僕の気持ちはおっぱいがいっぱいというフレーズに込められている。このフレーズを繰り返すことによって僕の理性は保たれる。逃げ出したい現実から、逃げ出さないようにかつ、つぶれないように理性が働いているのである。僕の精神的安定を保つツールとしておっぱいがいっぱいの歌は機能しているのである。

 

性的マイノリティへの権利のことを書いておきながら、こんなこと書いていると矛盾かもしれないが、そもそも人間とは矛盾が同居しながら、悶える生き物だと思うので、己の中の理性と矛盾を飼いならしながら、これからも頑張って生きていくよ。

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。