シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

人の好意は素直に受け取ってみると案外楽しい

僕はこれまで人の好意を素直に受け取ったことがなかった。好意そのものは嬉しいのだが、なぜか気分がのらず拒否反応を示してしまう。そのためせっかくむこうの距離を縮めようとする行為に対して、遠慮してしまうことが多かった。いつの間にかすっといなくなったり、バレンタインの義理チョコを配っている人がいて僕の番になりそうになったら、すっと消えたりしていた。それはいまでも続いていて、相手が距離を詰めてこようとした場合に、僕はすっといなくなる。強烈に距離を詰めるのが上手い人がいて、その人のときだけ捕まったが、ほとんど僕はすっといなくなっていた。もちろん単純なご飯のおごるおごられる程度はそつなくこなしていたが、服のコーディネートだったり、世話を焼いてくれる行為だったりが、距離が縮まるにつれ、煩わしくなって拒否反応を示してしまっていた。あんまり人の好意というものが好きではないし、貰う必要のない恩を受けて、相手に何かを返さなきゃって思うのが面倒くさいんだろう。馴れ馴れしく接してきて、感想を求められたりしても嫌だし、プライベートの時間を削られるような付き合いに駆り出されるのも嫌だった。

 

だけれども、僕は僕という人間に対して行き詰まりを感じ始めていた。成長するべき方向性を見失ったというのが正しいが、ようやくスタート地点に立ったともいえる。人生において羅針盤は存在しないので、誰かに促されようが、自分で決めようが、結局方向性を自分が選択していることになる。どうせだったら自分の人生は自分でかじ取りしたいと考えるのは、おかしな話ではないだろう。きっとそうした意識が根本にあるせいで、これまではほかの人の距離を詰める行為が、自分の好みを妨げる行為だとして、拒否反応が出ていたに違いなかった。そんな自分に辟易し始めていたため、せっかくだから父の申し出を受けてみることにした。

 

父の申し出は、僕が会社で昇格したときのお祝いとして、財布をプレゼントしてくれるという。どんなのがいいのか伝えてほしいと言われたのだ。僕は財布なら自分で選べるし、その程度の金なら持っているから必要ないとはじめは断った。財布と言えば長く使うものの代名詞だし、好みに合わないものは全くと言っていいほど拒否反応がでるもののトップクラスに位置する。デザインだって重要だった。しかしだ。僕はふと思い返してみた。僕はこれまで一度だって人のこういった親切心だったり、好意だったりを素直に受け取ったことがあっただろうかと。すべてを人に任せて、その人の好みで僕に合うものを受け取るというのは、全くと行っていいほどしてこなかった。どうせなら、自分の考えもしなかったようなアイディアだったり、行動を伴ったものを受け取った方が、互いに楽しいに違いない。そう考えることにして、再度連絡を取り、父の好みで構わないので、ふさわしいと思うものを送ってはくれまいかとお願いしてみた。

 

父は快く承諾し、名古屋の店を回ってくれたようだった。僕は宇都宮に住んでいるが、父は名古屋で働いている。母は横浜で働いているので、まさに一家離散している形だった。そんなこともあり、せっかくのコミュニケーションをとるまたとない機会だった。父から送られてきたのはBOSSというメーカーの長財布だった。この財布がまたバカでかい。正直初め見たときはぎょっとした。失敗したとも感じた。やくざの若頭が手にもって歩いているかのようなポーチのような財布で、バックにぎりぎり入るくらいの大きさだった。ものすごい拒絶反応が初めに出た。巨大すぎる。こんなの使いにくいに違いないと。でも僕が望んでいた結果だった。やはり身内である父でも価値観は全く違うため、父ですら触れ合うだけでこんなにも面白いことが起こった。僕は拒絶反応が出たことを素直に楽しんだ。僕の価値観と全く合わないものが、今僕の手元にある不思議。そんな状況を素直に楽しんでみようと考えていたから、僕にとっては理想的な状況だった。

 

しかしだ。この話には続きがある。結論から言うとBOSSの長財布はむちゃくちゃ使いやすかった。初め大きすぎるかと思ったが、形が大きいため、小銭は出しやすく、札も出し入れが簡単だった。何より持っている財布が誰かと被る可能性も極端に少ないタイプの財布だった。それにやはりファスナーの動きがいい。たいていの財布はファスナーが渋かったりして、正直イライラすることが多かったが、非常に滑らかにスムーズに動く。大きさが一般的でなかったため、一時は大変なものを受け取ってしまったと思ったものだが、存外悪い結果にはならなかった。むしろ価値観を新たにするような刺激的な選択になった。財布がでかいから、ファスナーも大きく指でつかみやすかった。

 

だから僕は言う。人の好意は素直に受け取ってみると案外楽しいし、自分の凝り固まった価値観を一新してくれる刺激的な出会いになる。これが俗にいうリフレーミングというものの典型的な例なのだろう。相手の価値観は簡単には変えられないが、自分の価値観なら相手を受け入れることで簡単に変えることができる。そんな学びを僕は得た。

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。