シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

誰かに迎合するんじゃなく自分の言葉をみつけたい

長いものに巻かれるのが人生だ。虎の背中に隠れて、誰かに石をぶつける。そんなくだらない人生を生きてきた。まさにいまもそうかもしれない。誰かに促されるまま、魔女に石をぶつける。そこに自分の意思はなく、志しもない。寅年だけにタイミングばっちり。

 

だけどさ、言葉の世界くらい、誰かを考えず、自分と向き合って、本当に自分が書きたいこと書かなきゃ、なんのために顔を隠し、名前を隠しているのかわからない。つい最近似たようなことを書いているけど、気にしない。昨日の自分は他人だ。今日の自分にしか紡げない言葉がある。それだけ僕にとって根深い問題で、もぞもぞと書くことで、発散し、解決しようと試みているから、何度も何度も飽きもせず、まるで生まれたばかりの赤子のように言葉の連鎖を続けたい。

 

もちろん誹謗中傷したいわけじゃないし、開示請求があった場合に生じるリスクに関して、自分は認識しているつもりではある。だからこそ言葉のチョイスが難しいという話にも通じている。誰かが敵なんじゃない。何かが問題だから、敵役が生まれてしまうだけなんだろう。やはり個人の問題に焦点を当てるべきじゃない。失敗したのは個人かもしれないが、自制したり、監視するシステムが脆弱だから生じた問題だ。

 

悔しいが、僕には力がない。権力もなければ、財力もないし、才能なんてこれっぽっちもない。ただ漠然と過ごしてきた人生の足跡が、贅肉となって腹に溜まっているだけである。いよいよ精算する時が近くなって来ている。この駄肉と金輪際おさらばしたい。

 

さてそんな駄肉との決別を決めた僕は、正直ブログの世界くらいは、強気でいきたいと決意した。フミコさんの文章に後押しされた部分ではあるが、そもそもなんでおべっかしなきゃいけないんだってことは常々思っていた。だいたい誰におべっかしてるんだ?読者か?読者は権力者なのか?違う。権力者かもしれないし、インフルエンサーかもしれないが、顔の見えない状況では平凡な弱者が大半だ。なら平等ではあるはずだし、対等な関係であるはずだ。つまり迎合する必要がそもそもない。ありのままの自分でぶつかって、嫌われたらさよならする簡単な関係だ。無理することない。好きなら好きって言って!自信がでる。嫌いって言うのは気になるけど、うちに秘めといていいヨ。傷ついちゃうからね。ただでさえ打たれ弱いんだから、打たないでね。

 

表現したいことが出来ないシステムや社会は牢獄以外の何者でもない。だからこそ、僕は現実の牢獄をぶっ壊したい。ぶっ壊すには力がいる。周りにないものをあげるなら熱量だ。駄肉を燃やした熱量を持って、牢獄をぶっ壊してやる。ぶひー!

 

悔しい。悔しくて仕方がない。悔しいって書き過ぎて、なんだか梅ってゲシュタルト崩壊するほど悔しい。梅って字に近いから、悔しくて足掻いていたら、そのうち春が来るのだろうか。いや引き寄せる。はーるよこい!とっとと来い!

 

うん。最近まじめに書こうとするとふざけちゃうな。まっいっか。

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。