シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

なんでもかんでも否定してたら話が前に進まない

転ばぬ先の杖という言葉のように、なんでもかんでも否定し、挑戦を拒むまたは自分の意志に反するものを否定する人がいる。確かに、挑戦というのは失敗とセットなので、これまで以上に大変なことがあるうえ、実を結ばないというのはざらだ。利益を優先すると、挑戦はできない。挑戦せずに利益を追求すると、じり貧になる。それは歴史が物語っている。

 

挑戦するというのは、失敗することだ。失敗することに価値があるのだろうか。失敗することに価値はある。というより、成功は失敗から始まる。なぜならば、完璧に答えの見えた挑戦というのはほぼ存在しない。やってみないとわからない状態になってくる。挑戦するときに、目標や目的とするものはこの世に存在しない尺度である場合が多い。そのため、間違いなく失敗するか、日和ると微妙な結果になる。

 

どこまでを成功とするかは、その人しだいのところだが、失敗したものに責任を感じないことが大切だ。そして、回り道だと思わないことが重要である。先ほどじり貧になると書いた。それは挑戦しないと、流行りがわからなくなる。そして、新しい飯のタネが見つからなくなる。競合他社がどんどん参入してくるためだ。新しいプレイヤーも参入してくることだろう。自分たちがフィールドとしているところはレッドオーシャンになり、いつの間にか利益を出しにくい状態に陥っている。1か所にとどまり利益を追求することは、死ぬことがわかっているのに、鍋の中から出ずに泳いでいるカエルだ。どんどん水の温度が高いのに、カエルは鍋の中にいることを認識できない。鍋の中を懸命に泳ぐだけである。その状態がレッドオーシャンの末路だ。

 

漠然とした言葉の列挙で何が言いたいのかわからないだろう。子育てに焦点を当ててみよう。自分の子供が新しいことをやろうとしている。親は心配だからと、先回りして、レールを引いたり、お金がないからとか、時間がないからと言って挑戦させない場合があるだろう。これは子供の成長を阻害する。レールを敷くと親にしかならない。親と同じになっていくべきだと考えるべきではない。親と同じ時代背景、環境ではないため、親と同じには絶対ならない。子供は子供の環境で成長する。彼は彼にしかなれないのだ。だから、レールを敷く必要はない。自分で考えてレールを敷設させるべきだ。助けはあっていい。むしろ一緒に悩むべきだ。金がない場合は、金が許す範囲か、金がなくてもできるところをやるべきだ。時間がない場合は、時間を作るのは自分であり、子供ではない。

 

出来上がったものが不格好でも、失敗作でも笑ってはいけないし、怒ってはいけない。初めはなんでも不格好である。不格好をむしろ褒め称えるべきだ。よくここまでできたねと。きっと次はもっとうまくできるよと。僕は最近の専門家が漫画家を批判した話を聞いて、そんなことを考えていたのだった。はじめから成功するように待っていたら、いつまでたっても何もわからない。否定されることもあるだろうし、批評されることもあるだろう。だけれどもその挑戦の足跡こそが、もっとも価値ある行為なので誰も否定するべきではない。批評はしないと何が良くて何が悪かったのかわからないからそこはやった方がいいよね。

 

 

 

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。