文章を書くようになって、1年ほどが経過しようとしている。我ながら、よく頑張ってきたと少しばかり感心する一方で、悩みが増えてきた。それは社会的な通念だ。わかりやすく言うと一般常識という感じか。法律と考えてもらっても構わない。なぜそんなものを気にするのかと問われると、まさに悩んでいるので回答に苦労するが、決まってないが、暗黙の了解としてなにやら存在する雰囲気がある中で、どこまで表現していいものなのかということだ。ある程度は思い切ったことを書くべきだと考える一方で、書きすぎた場合のしっぺ返しが怖いということでもある。しかしながら、書きたい気持ちが非常に強いから悩むわけだ。
理解しているルールをまとめてみたい
・引用物であれば、引用を明記する。場合によっては了解を得られることが好ましい。
・公序良俗に反しない程度の表現に抑える。
・誰かを批判する場合は、自分が批判の対象になることを覚悟する。
・組織、プライベートのルールを守って、ルールに反した表現は行わない
これがいま僕が自分に課しているルールだ。なかなかすべて満足させるとはいかないが、可能な限り守っている。特に最後の部分に関しては、妻、子供がいる中で確実に守らなければいけないルールだろう。問題は真ん中にある公序良俗を反しない表現だ。この部分は非常にあいまいで、可能な限り表現した方が、生々しさが増し、迫力が出てくる。しかしながら、18禁になりそうな表現や、生き死ににかかわるセンシティブな表現は、たびたび読み返しては、削ったり修正したりしている。自己満足の域を出ていない部分ではあるが、あくまでもそこは読んでいる人がどう感じるかを考慮している。考慮しているのだが、中途半端な表現になってしまい、これがなかなか難しい。逆にこうしたものから脱却するために顔を隠しているのだし、表現してしまってもよいようにも思う。悩ましい。
誰かを批判する気持ちはさらさらないが、しかしながら、やらないか!を読んだときに、いまの若者は自分の意思を強く表現することをあきらめてしまっているとある。たしかに僕の父が学生の時には学生運動がさかんで、若者と警察の対立などよく発生していた。これは、村上春樹のノルウェーの森にも同じようなことが表現されている。そうした意味でも、いまの若い世代、僕も含まれるか微妙ではあるが、政治に興味を持ったり、誰かを指示したりというのはあまり聞かない。
そういった意味でもあきらめてしまっていて、自分の生活を守ることだけに集中しているということなのだろうか。政治に訴えれば、社会的ルールが変えることが可能だということを知らない可能性も高い。むしろ、変なYOUTUBEの使い方をしていないで、政治的な活動に使ってもよいように思うが、そのあたりは公職選挙法を理解しないと難しい。しかしながら、街宣車などを見たことがあると思うが、あんな形で、政治的な表現をすること自体は別に否定されていない。当時ほど周りが興味を持ってくれなくなった感じはあるかもしれないが。
色々なことを表現するうえで、暗黙の了解をある程度守らないと、ただの獣になり果ててしまう。文章においての獣ってなんだかそれはそれで面白そうなので、いいような気もしないでもないが、まったく相手にされないような感じになってしまっては、何を伝えたいのか本末転倒になってしまう。こうした文章表現に携わるようになると、ある程度自分の中で線を引いて、自分で決めたルールに従わないと、わやくちゃな表現になってしまう。なかなかに悩ましい。
ただ、ルールに従ったからと言って読んでもらえるようになるわけじゃないし、ルールに従わなかったからと言って読まれないわけではない。なんでもありありだぜっていうのは、読者との信頼関係にひびを入れてしまうのではないかなぁってそんなことを心配したりしているわけだ。ムズイ。

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。