シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

頭の中の変なスイッチを押そう

僕の頭の中には変なスイッチがある。これはいったい何なのか僕にも理解できていない。このスイッチは、決して悪さをするわけではないんだが、入るタイミングがよくわからないものだ。スイッチというと、やる気スイッチなどが有名だが、どうやらそういったものとは違う。

 

表現としてもっとも近いのは『ゴーストがささやく』、『神が宿る』だ。きっとそういった感覚が大なり小なり多くの人が感じているので、結局神という存在がいるのかどうかはわからないが、信仰心がなくならないものの1つなのだろう。それ以外にはすがる、許してもらう対象として神がある。これは今回の趣旨とは違うので、ここまでにして、機会があったら考えることにしよう。

 

頭の中にはこんな変なスイッチがあるのだけれど、どうもこのスイッチは入るタイミングに規則性がなくよくわからない。よくわからないのだけど、どうやら本を読んだり、文章を書いたり、何かを作ったりすることでゴーストが出てくることがわかっている。そして、1つのことを集中して何かを考えているときに神がこんにちはってしてくるのがわかっている。この変なスイッチをゴーストも神もどうやら好きなようで、きまぐれにぽちっと押しに来る。このぽちっと押されることが大切で、僕の考えの転機になるような発見が多い。きっと頭の中の情報が整理されたり、シナプスが活性化してつながりを形成した際に生じるできごとなのだろう。だから、この変なスイッチを押すことは、自分を作り変えるうえで非常に重要な役割を果たしている。

 

変なスイッチを押すには、書評を行うことがもっとも都合がいい。そして、書評とは別に問題を自分で考えて、その問題を解くことで神が降りてくる。この2つを行い続けることが、僕の人としての厚みを形成するに違いない。普通に生きていて、究極の問題に触れる機会などそうそうない。最近まであったのだが、僕の中ではたいした問題ではなくって速攻で解いてしまったので、考えることはなかった。きっとどこかですでにそのスイッチは押されていたのだろう。つまりどこかで究極の選択を迫られたときに悩まないようにするために、あらかじめスイッチを押しておこうということだ。このスイッチを探すのはやめておこう。スイッチの証明をすることはたやすいが、どういったタイミングでスイッチが入って、継続しているのか、どこかで切られるものなのかというのは容易にはわからない。個人的には入りっぱなしだと思う。みんなも頭の中の変なスイッチを押しまくって、新たな自分に出会いに行こう。

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。