シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

短絡思考と優柔不断の間

僕は入社してから、怒涛のように忙しい毎日を送っていた。すぐさまやることを電話で相談し、判断し、そのままの勢いで仕事をこなす日々。目の前の仕事をやっつけることに専念し続けた。失敗することが多く、やり直しが必要なこともあったが、順風満帆に進んでいたと思っていた。思い込んでいた。思い込みというのは恐ろしい。自分がいかに優秀で、即決し、判断できる人間なんだと自信を持つようになるから見るも無残。鬼舞辻無残。

 

僕には師匠がいる。僕の師匠はかなりのベテラン社員で、江戸っ子気質なのか、ぶっきらぼうなものいいが印象的な方だった。僕は異動し、その江戸っ子さんの下についた。江戸っ子さんの僕への第一声は『てめぇはボスの犬だな』だった。わぉ~ん。

 

いま思えば、江戸っ子さんは本質を見抜いていた。僕はボスの金魚の糞をしていた。糞には糞なりの魂があるのだが、しょせんうんこには変わりない。ボスの顔色をうかがい、ボスの言ったことをそのまま受け入れて仕事をしていた。問題なのは、ボスはかなり都合によってやることを2転3転させていたことだった。目的や目標を整理することなく、場当たり的な経過報告をするというスタイルだった。そのため仕事が進んでいるように見えて、実は何も変化がないということが常だった。そんな仕事の進め方をしていたために言われたことだった。

 

江戸っ子さんが言うには、僕は短絡思考だと言われた。行動が早いのはいいが、言われたことをただそのままやるのではなく、そもそもなぜその仕事をやる必要があって、その仕事をやることでどんな効果が得られるのかを考えてから行動に移せということだった。視座が低かったのだ。課題の全体像を想像し、問題点を解決していかなければ仕事は進まない。忙しいばかりで、仕事をしている気になり、効果的なことが出来ずにいることになる。効果的な仕事をしないと、忙しくても何も解決していない。忙しいばかりで、どんどん視野は狭くなり、最終的にはゲームオーバーだ。

 

それからというもの、僕は江戸っ子さんに弟子入りし、丁稚として懸命に学んだ。江戸っ子さんは時に厳しく、時に優しい方で引退された今でも年賀状のやり取りをしたり、メールのやり取りをする仲だ。江戸っ子さんは僕の社会人としての基礎を作ってくれた人だった。

 

しかしだ。そうは問屋が卸さない。簡単に値引きができたら、誰も苦労しないのである。僕は課題の全体像を想像しながら進めていく方法に疑問を呈する。課題の全体像を想像するやり方は僕に一定の利益をもたらしたが、いかんせん時間がかかる。それに課題というものは生き物だ。流動的にどんどん姿を変化させて、その全容を把握するころには問題が解決されているということも少なくない。これでは労力の割に幸が薄い結果になってしまう。ようするに全体像が把握できるまで、手を付けない優柔不断な状態が続いてしまっていたのだ。あえて言おう全方位はくそであります。

 

そのため僕は現状ある一定の範囲だけで小さく課題を把握することに努めている。狭い範囲の全体像を把握し、その狭い範囲の問題を解決していく方法だ。スモールゴールというやつである。スモールゴールを細かく回し、スモールゴールができたら再度仕切りなおす。仕切り直しからの再出発だ。こうすることで、ある一定の成果を早く出しつつ、しかし下手な鉄砲を避けることが出来る。短絡思考と優柔不断のいいとこどりだ。ネガティブなワードの列挙だとなんだかキャッチーでアバンギヤルドじゃないので、『蹴り石思考』とでもいえばいいか。丸とびという蹴り石遊びにイメージが近い。蹴る先の課題を丸っと把握しておき、石をけり込む。また同じように蹴る先の課題を丸っと把握し、石をけり込む。これを繰り返すのだ。狭い範囲の定義が難しいが、1日2日くらいで、把握できる範囲だけで、決断してしまって構わないだろう。さてうまくいくのやら。

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。