多様性の科学は、僕に多くの天啓を与えた。この書籍を読むことで、これまで感じていた問題に対する回答を得られたように思う。それは最後にまとめた。僕が得た、本書の学びについて紹介したい。
採用したい人間を集めた集団が理想の集団ではない
グローバル企業がもてはやされているが、企業はいまや風前の灯火だと思う。なぜならば、採用する人物は知らず知らずのうちに成績が優秀なものとは別に、自分と近しいものを選択しがちだ。その中には人種や性差も含まれるため、男性中心になり、白人中心になっていく。
企業や組織において、人材の画一化は問題を解くうえで理想だと考えられていたのだろう。類は友を呼ぶというより、類が友を選ぶという言葉が正しいように思う。自分が一緒に働いて心地の良い同じような考えをもった人間をついつい採用しているのではないだろうか。
多様性の科学は、そうした画一的な集団に警鐘を鳴らす。特定の問題解決やゴール達成に必要な洞察力、視点、経験、物事の考え方を概念的に表したものが、「問題空間」であり、多様性の基本コンセプトだ。自分にとって心地の良い人間の集まりというのは「クローン集団」であり、問題の盲点をカバーしきれない。逆に必要な集団というのは、それこそ畑違いの人間の集まりであり、「反逆者の集団」と考えられている。
この反逆者の集団になっていない限り、グローバルな企業と豪語しようとも、本当の意味でのグローバル企業になれていないのではないだろうか。グローバルとは、世界的な規模という意味だが、世界的な規模の繁栄を表すものではない。単純に世界に点在する拠点があるという意味ではないのだ。グローバルとは多様性を伴った世界的な規模の問題を解くことが出来る集団を指す。
そのため画一的な集団から構成される現在の企業群は、淘汰が生じるような技術革新が生じた際に生き残れない。問題点がわからないからだ。まさにいまその問題が発生しているのに、誰も気づいていないのではないかという不安を感じている。
アメリカの優秀な人間を集めたCIAですら、問題空間を把握できなかったのだ。日本の企業にしたって、例外ではないだろう。
画一的な人間が集まる閉塞感
多様性の科学は、僕が会社や日本社会に抱く閉塞感に答えを与えてくれた。日本は結局のところ村社会であり、日本企業も村社会になっている。画一的な集団であることを強要され、言葉では自由をうたっているが、実際にはよそでやればいいじゃんなど自分と同じ考えになることを強要される。
村の掟を守れないと村八分にあう。それは、沈まぬ太陽で語られている通りだ。白い巨塔もよくご存じだろう。日本の社会は単一民族【単一民族ではそもそもないのだが】で構成されることを強要される。首長の考えることを迎合するように強要され、従えない場合には終焉へと追いやられている。
学閥、企業派閥、会派。これらはすべて単一の集団を強要してくる。画一的な集団はもろい。脆弱で惰弱な集団だ。新たな問題に対処できないこれらの集団は、日本にとっての害悪以外の何物でもない。こうした集団で構成されている限り、日本に未来はないのではないだろうか。
成功例を紹介しよう。僕が個人的に考えているのであるが、それはラグビーだ。ラグビーは、これまで日本人を中心に構成されてきた。日本代表選手が、ほとんど日本人なのだ。当然と言えば当然なのだが、日本国籍を取得した外国人は含まれていなかったということだ。醤油顔とソース顔はいても、白人選手も黒人選手もいなかった。それが変わったのは2015年ラグビーワールドカップからだと思う。世界ランキング1位だか2位だかの南アフリカ代表に勝利を収めた。素人にもわかりやすくどれほどの偉業かというと、高校野球の選手たちが、メジャーリーガーに勝ったくらいものすごい出来事だった。そのためブライトンの奇跡と言われている。
ラグビーが成功を収めた理由は色々あるのかもしれないが、1つはこの多様性を考慮したからだと考えている。エディージョーンズヘッドコーチは、メンタルトレーナーを付け、練習方法を改革し、選手層も外国人選手を増やした。問題空間を構成するメンバーを抜本的に入れ替えたのだと想像する。この偉大な業績と2019年のラグビーワールドカップの決勝トーナメント進出を受け、日本代表はTier1への昇格を果たした。これは多様性の科学を取り込むことで、これまで不可能と言われていたことが可能になることを示唆している。
日本は変わらなければならない。日本は経済大国としては2位だった時代はとうにおわってしまったのだ。これからは下からどんどん追い上げていく国が増えていくことだろう。そして、日本は金を持っているのにもかかわらず、貧困だ。なぜこんな状況になってしまったのか、この問題をどう解決するべきなのかはこれまでの画一的な集団では解決できないだろう。抜本的な改革が必要だといえる。
最後に
多様性の科学は、僕のこれまでのいくつかの疑問点を解決した。例えば僕はこれまで自分の頭の中のセカイを実現しよう、整理しようとやっきになっていたが、同時に限界を感じていた。どこかの外部組織に所属し、ある意味群れに所属した方が、より成果が上がるのではないかと期待し始めていた。
限界の理由は、結局は問題空間が埋められていないことで、問題の提起に始まり、その解決手段の構築を1人で行うことは不可能であることが多様性の科学で指摘されている。
またリーダーには2種類いることに気づけたことも新たな学びだった。支配者型と尊敬型のリーダーだ。僕はどうやら前者に該当するように思う。これも長年悩んでいた。自由を与えているつもりなのだが、ついつい余計な口出しをしている。それは結局彼らの自主性を阻害することになるし、利他的ではなく、自分の望む姿を実現してほしいという自己中心的な考えに他ならないのだろう。おそらくだが、尊敬を集めるリーダーになるには、叶えたい理想の方向性【ビジョン】を示すこと、メンバーを信用し任せ細かい口出しをしないこと、メンバーの利益を最大限にすることだろう。当然ビジョンにはメンバーの利益が最大になるはずという理想でないといけない。
本書はこうしたいくつかの気づきを得ることが出来る良書だった。ぜひ手に取って読んでみてほしい。

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。