シン・春夏冬広場

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【書評】一人交換日記が最初に読んだエッセイ漫画でいまでもバイブル

永田カビさんと出会ったのはちょうどPIXIVの漫画を読み漁っていた時だった。ちらりとみたのはさびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ。女性は風俗が存在しないイメージだった。どちらかというとエロいことだけで済ますのは男性のイメージだった。男性のエロは大盛り牛丼、女性のエロはフルコースのイメージで、女性の場合はとにかくエロへと至る過程を重んじていると考えていた。女性が風俗に行くという行為がそれだけ珍しく、興味を持った。

 

一人交換日記

 

エッセイ漫画を本格的に読み始めたのは、一人交換日記からだった。それまではエッセイ漫画があることは知っていたが、食わず嫌いをしていた。なぜなら個人的な感想を集めたものに価値を見出せなかった。その感覚はきっと男性的な感覚だろう。

 

戦争は女の顔をしていないでも書かれているように、男性は客観的な事実や戦術、戦況、戦略、その戦闘の持つ意味などに代表とされるように、ある目的に対してその目的を達成する手段を明らかにし、組織としての個人の役割を重んじる傾向にある。そのため男性の話は個人の差が多少あれど、大きく個人差が生じない傾向が強い。一方女性は戦争という状況に対して各個人の衝撃を受けた感情、互いの心のありかを大切にする傾向が強い。女性と会話をしていたときの個人の感覚に近いが、女性は結論を求めない会話、いわゆるオチのない会話を好む。感情の交換がメインだということを知った。昔の僕は仕事をする上で、そうした女性の感情の在り方というものが、ヒステリックに感じられ、邪魔なのものであると排除していた。

 

しかしながら、最近になって思うことは僕らは客観的な生き物ではないということだ。当たらり前なのだが、当たり前ではない。男性社会において個人の感情のありかは問題ではなく、組織としての価値を最大化するために効率的に動くこと、己の役割を認識することが重んじられる。だが、主体の中に個性が宿るのは当然のように、感情のやり取りや感情の機微が生じているところにこそ本当の人間としての価値があるのではないかと考えるようになった。それは一人交換日記を読んで、自分の考え方に近い部分があったことに共感を覚えたことだ。

 

僕は実家で暮らしているときは満たされていた。彼女はその逆だったようだが。勉強に家族に圧倒的単調の繰り返しなのだが、そうした変わらない日常に満たされていた。人を好きになることの必要性を理解せず、両親と動物に愛される生活に満たされていた。社会人になり一人暮らしを行って状況は一変する。望まぬ仕事、拘束される日常、焦る休日に追われ、僕はほとほと疲弊していた。酒におぼれ750mlのウィスキーの瓶を1日1本空けていた。コーラで割って飲むと異様にうまい。僕はぶくぶく太り、頭がおかしくなりはじめ、眠れなくなった。問題が解けないと発狂して泣きじゃくった。心にぽっかり穴が開いていた。僕は世界から必要とされていないのではないか、僕はなんのために生を受け、これまでなんのために頑張ってきたのかわからなくなっていた。

 

そんな状況を打破しようと考えたのは、奇しくも同じ恋愛だった。僕って誰かに愛されたことって両親以外に存在しないじゃん。心からの愛をささやいたことって、告白したことですら、1度もない。やったことがないことをやってみれば何かが変わるかもしれないってそう感じるようになった。誰かを愛し、愛されるならばもしかしたら何かが変わるのかもしれない。自信を取り戻せるのかもしれない。恋に焦がれた危ないおやじだったが、まだ20代なので許してもらえるだろうって考えて、彼女をまずは作るぞって奮闘した。

 

結局愛は僕を救ってくれた。初めて付き合った女性が今の嫁さんなわけだが、僕は彼女に愛されるために服装に注意し、彼女に会いに行くために仕事を早く切り上げるようになった。休日の勉強は彼女と過ごすために使った。彼女と外に出かけるようになった。思えば栃木に移り住んでから、実家に帰る以外の目的で県外に出たことはほとんどなかった。僕は僕を取り戻し始めた。何もかも好転していった。体重だけは元に戻らなかった。

 

こんな自分のことを書き連ねることに、何の意味があるのかといまでも疑問に思うことがある。しかしながらビジネス書籍に見るように客観的な事実や理論の羅列は人の頭をおかしくさせる。それがすべてではないということが、どうしても理解できなくなる。ただ、日記を書き連ねるだけでは意味はないのかもしれないが、意見や感情に対する何らかの考察や時代の変化を反映した感情の形を表現することには、その人にしかない形を表しているように思う。そうした情報こそが、社会、時代を表しているものであり、今しか表現のできない価値の高い情報であるだろう。自分でも書き連ねていこうと考えております。

 

う~ん。自分を書いていくっていうのはなんかしっくりこないなぁ。自分好き人間かよって、キモすって思われそう。でも僕はあんまり僕が好きじゃないんだよなぁ。うっとうしいって思うことが多いな最近は。だから何かになりたいんだけども。

 

永田カビさんみたいにあんなにいろんなことは考えてないけども。考えすぎてなんだか変な感じになっているような気もするが、それがまた新鮮でよかったりするから、何とも言えん良い味になっている。

 

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。