シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

かすがい

歳を取った。久しぶりに会った父と母。父は髪に白髪が混じる様になり、頭皮は薄くなっていた。

 

服装はハンチング帽をかぶって、チェックのパンツに黒いジャケット。母は花柄のワンピースを着ていた。格好こそ2人とも若々しいが、近くで見た2人にはかつて2年前に感じた時よりも、年齢を感じさせる深い皺が刻まれていた。

 

確実に時間が経ってしまった恐怖が、ふいに僕の胸を締め付ける。こんなことならもう少し帰ったりしても良かったのではないか、という自分を責める感情とコロナという未曾有の感染症が蔓延するなかで、当然の義務を果たしたのだという正義感が浮かんでは消えていった。過ぎ去った時間は、取り戻せない。

 

僕の家には新しい住人が誕生した。彼はすくすくと育ち、2か月ほどになる。出来ることは日に日に増えていき、かわいい盛りだ。いつもミルクの匂いを漂わせ、その度に優しい気持ちになれる。足をジタバタさせながら、腹が減ったと泣きじゃくる。赤ちゃんの仕事は泣くことだというのが良く分かるくらい、泣くことにかけては右に出るものはいなかった。

 

コロナの2回目のワクチン接種が終わった。熱は39度近くまであがり、眠気で何も出来なかった。彼と一緒にデカイ子供が、嫁の世話になるという情けないことになったが、ようやく準備が整ったという気持ちだ。ようやく、父と母に会っても、何か問題が生じるようなことはないだろう。父と母にようやく我が子を見せることが出来るし、久しぶりに会うことが出来る。

 

ここまで我慢に我慢を重ねて、限界だった。在宅ワークが中心になり、廊下を奪われた。家と会社の境界線はなくなり、だらだらとした仕事。ストレスを解消したくても、積極的に旅行や外食には行けない修行僧のような生活にほとほとうんざりしており、心はむしばまれていた。まいってしまっていた。日々のニュースも互いが互いを攻め合い、一向に好転していなかった。まるでこのまま誰かを責め続ける生活が、ずっと続いてしまうかのような、そんな絶望感に本当にまいってしまったんだ。

 

父と母に会った。横浜から電車と新幹線に乗り、感染対策をして来てくれていた。赤ちゃんと、嫁さんはワクチン接種が出来ない。彼の健やかな成長のために、嫁さんはリスクを背負ってくれていた。彼女にうつさないことが先決で、手洗い、うがいを徹底してもらった。本当に久々に会った。嬉しかったし、かつてないほどに安心した。

 

年はとったが、父は快活に話だし、昔の父のままだった。彼はまだ現役で働いているため、非常にねむそうだったが、それでも会社のこと、仕事のこと、最近あった出来事などをいままでを取り戻す様に、たくさん、たくさん話してくれた。携帯電話や、フェイスタイムなど便利な世の中になった。しかし、生の情報、生の対面でのやり取りに勝るものはこの世に存在しない。父と母の笑顔や、刻まれた皺、年の気配、存在するという熱量。それらは直接会わないとわからないものだ。

 

息子を抱き上げた父と母は嬉しそうだった。最初は首の座っていない彼に対して、おっかなびっくり。実に40年近く久々に赤ちゃんを抱く姿は、たどたどしかった。抱くにつれて、昔を思い出し、僕と兄の話をポツリポツリとつぶやくようにはなす。赤ちゃんのパワーは本当に凄い。子はかすがいと言われるが、言葉の意味は実感して初めて現実味を帯びてくる。父と母の記憶を呼び覚まし、過去の僕と現在の僕をつなげた。

 

息子は、日に日にできることが増える。毎日大きく成長し、父と母の前でにっこり笑い出した。父があやしている中で、声こそなかったが顔をじっと覗き込み、ニヤリと微笑む。きっと反射に近いんだろうが、あやしている時に嬉しそうにするのは初めて見た。父と母はそれが我慢した報酬であるかのように、彼を何度も抱き上げ、何度もあやした。息子はその度ににこにこ微笑み、喜ばせる。天然ジゴロのようなありさまだが、これ以上の報酬はないだろう。僕もほっとし、嬉しさが込み上げる。息子は、ランドセルを買ってもらう約束を取り付けていた。

 

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。