シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

書き出しって悩む

いつだって書き出しに苦労する。書き出しを決めるまでにうんうんうなっていることが多い。本日は〇〇について紹介しますっていうくだりはあまりに多いとくどいかなとか。味気ないかなとかそういったことに悩まされる。

 

かっこいい書き出しで始められるときもあれば、よくよくみると誰かのパクリのようにも見えて自己嫌悪に陥る。何かきまったスタイルを確立した方がいいのか、はたまたその時その時に応じてかっこいいスタートを切るべきか悩まされる。

 

文章の書き出しは勢いが大事だと思う。ちなみにこの思うっていう書き方もなんだかなぁ品がないように感じてしまう。閑話休題。文章の書き出しは勢いが大切だ。なんだかよい書き出しが見つかると、まるで神が手に宿ったかのようにすらすらと文章が出てくる。こればかりはいつだって不思議な気持ちがわくのだが、これだと決まったものがあれば、たとえ内容をあまり考えていなくとも、すらすらと文字が出てくる。書かずにはいられない衝動に駆られて、自然と文字数が稼げている。

 

文字数が稼げているだけで、誰かの心がワクワクしたり、なんだかためになったぜって形になかなかならないのが面白いもんだが、書いているこちらとしてはどんどん文章が出てくるのは気分がいい。気分がいいんだから読んでほしいぜって思うのは当然の心理だろう。さりとて、いくら祈ったところで、かなわない。人の夢なのである。

 

さてなんの話だったか。書き出しだったか。書き出しはうまくはまれば勢いがつく。なので、文章の骨子だなんだというよりも、何が書きたいか、どう始まるかでだいたい決まってしまう。その文章のお里が知られてしまうのである。例えばカレーの紹介をしようとしているのに、便所の話からスタートすればこの話は一体どうなってしまうのだろうかとハラハラする。食事の話をしようとしているのに、そういったことを期待しているのに、便所の話から始められたら、誰も読む気は起きないだろう。

 

やはり文章を書くうえで一番大切なのは何が書きたいのかというのがなんとなくわかるタイトルとその書き始めだ。その2つが自分の中でなんとなく決まりさえすれば、後は野となれ山となれで、文章が快活に語りだすことだろう。文章を書くうえで何より大切なのは本人が書きたいと思う情熱であり、興味だ。

 

その次に読者。読者がいないとお話にならない。自分が書いたものがいったいどれほどの価値がありそうで、反応してもらえて、楽しいと思われる。そうするとなんだか自分が書いたものが駄文からちょっとだけいいものになったように感じられて、気分が良くなりまた書いてみたくなるものだ。なかなか反応がない中で、1人壁当てをするような力は僕にはない。

 

良し。ここまでで大体登場人物がそろったような気がする。まとめておこう。文章を書くうえで大切なのは自分が書きたいことを示せるタイトル【必ずしも読者が望んでなくてもよいわかりにくくてもよい】、勢いがつく書き始め、そして読者だ。自分が書きたいことを書くというのが前提だ。やはり続かないし、やる気が出ない。もうこれ以上やりたいことを我慢することに飽きた。そろそろ自分の物語を語り始めても罰は当たるまい。僕はそれだけ頑張ってきたと思う。

 

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。