シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

【書評】心はどこへ消えたを読んで、早く気持ちを交換したい自分がいた

数日ぶりに知り合いと話をした。画面越しではあったが、非常に興奮した。相手の顔が画面越しに揺れる。口が開かれ、言葉が紡がれる。あぁこの人はこんな声をしていて、こんな顔をしているんだなって。画面越しの彼は画面に映る僕に目を合わせて、僕の言葉を待つ。僕の言葉が発せられるのを待って、自分の言葉を紡ぐ。優しい音声。ラジオノイズが走り、時折言葉が途切れるが、次の言葉をいまかいまかと待っている僕がいた。僕の発した言葉に対して、彼が何を思い、何を考え、何を伝えてくれるのか。いま僕は彼と気持ちを交換している。

 

気持ちの交換はこれほど気持ちいいものなのか。どっと疲れた。気持ちの交換は体力をここまで消耗したものか。なんだかこれまでは平然とできていたものが、ひどく疲れるようになった。必要以上に興奮し、刺激的なものになった。こんにゃろこのコロナやろうめ。コロナは僕から廊下*1を奪って、僕から気持ちの交換を奪った。僕がどれだけ廊下に救われていて、人と合って話をすることが好きだったのか非常によくわかる。それだけ僕はまいっているんだな。この状況に。

 

誰も聞かないから、あえて告白するが、僕のアイコンは青いウサギだ。僕は無類の寂しがりで、孤独が大嫌いだ。誰かと常に会いたい。だけど僕は同時に非常にシャイで、臆病なんだ。だからコミュニケーション総受けみたいに構えてしまう。熊みたいな図体をしている割に、ナイーブ。それが僕だった。僕の心象風景は月ノ下の湖畔に移った月の中に扉があり、ウサギがぴょんぴょん飛び跳ねて扉を一生懸命に開こうとしている。水が揺れて扉がぼやけていつまでたっても、扉が開けないでいる。頑張れば開くこともあるだろう。でもこのウサギは不真面目で、サボり魔だ。だから青い毛並みをしている。常に憂鬱。それが僕。月ノ下扉なんだ。

 

僕の人となりがわかったところで本題。共感って言葉が良く使われているけど、共感って一方通行なんだなって思う。にっくきコロナやろうのおかげで、そのことに気づけた。共感は共鳴で、自分と同じ固有振動数の周波数には反応するけど、それ以外は素通りする。ローパスフィルターにバイバイすることもある。ただ、僕がやりたいのは一方的な共感をしてほしいのではない。僕がいて、相手がいて、それぞれの価値観やこれまでの生き方から紡がれる言葉を聞いて、気持ちを交換したい。賛同が必ずしも得られる必要はなくて、ただ紡がれる言葉同士をキャッチボールしたいんだと気づいた。

 

これまではそれは「場所*2」」によって提供されていた。困っているときにはどうしたのって声をかけてもらえて、シャイな僕でも質問で来た。でも今は違う。無機質な画面の向こう側にいる生身の人を妄想し、あの人忙しそうだったから、いま連絡しては迷惑だろうかとか、言葉がきつそうだったから、話しかけるの怖いとか考えてしまう。連絡が滞ること自体が問題なので、あまり考える必要がないんだが、廊下ではできていたことが、携帯ではできなくなっていた。

 

飲み会という場所がなくなったのも僕にとっては痛恨。酒を飲み、食事をし、愚痴をいいあったら人類みな兄弟が僕の思想。なんたる不純な思想かもしれないが、酒を酌み交わして相手の本音を聞けることが僕にとって意味がある行為なのだ。それをしていない現状は、たとえ相手が優しそうでも野生の警戒心が解けない。優しそうな人間に限って僕をだまそうとしてるんじゃないかって疑ってしまう。なんたる小物。

 

心はどこへ消えたを読んで、これまで考えていたことに記号が与えられ、僕の頭の中は整理された。自分の心の中にある純粋に希望しているのは、誰かと気持ちを早く交換したいんだってことがわかった。早くコロナなんとかならないだろうか。僕の心は消耗して、いまや風前の灯。ゆらゆらり。しゅん。

 

*1:「心はどこへ消えた」の中で語られている。会議が終了した後に廊下がある。その廊下で東畑さんは教授の悪口をいったりしてコミュニケーションをとっていたとある。僕の場合は、会議後に色んな質問をしたり、疑問をといたり、その人の顔と名前、癖を覚えたりしていた。これがないのはかなり厳しいというのを思い知らされた。現在継続中でほとほと落ち込んでいる。

*2:「心はどこへ消えた」の中で語られている「場所」という言葉をそのまま引用した。東畑さんは大学生を教えている。これまでは大学で普通に講義ができていたが、それが出来なくなったとたん世界卓球のラリーのように電話が学生から来るようになったとのこと。場所というのは本当は色んなものを提供している。

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。