シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

痛みを伴わないと人間は学習しない

人というのはなんて愚かしい生き物なんだろうか。何かを学び取るには必ず痛みを伴っていないと、理解することが出来ない。その立場になって初めて、その問題に取り組もうという段階になって初めて問題のまずさを理解し、向き合うことになる。愚かしいばかりで、全員そろいもそろってドMなのではないかというほど、痛みがないと何もわからないものなのだ。痛みの快楽を伴って初めて脳が活性化する。これだけ聞くとなんていやらしい奴なんだお前はと言いたくなるだろう。あなたも同じ穴の狢ですからね。まったく。ほんと痛いって気持ちいい。

 

他人の痛みはその立場にならないとわからない

想像できなかったのかということや、そんなこと気づいたはずだろうと人は言う。あとだしじゃんけんをしていると気づいていながら、なんでグーなんて出しちゃったの、あいつの顔を見てくれ、パーしか出してこないでしょって言っているようなものだ。流血を伴わない、のほほんとした状態の自分では想像できないし、気づかないのだ。本当にそうか。では質問しよう。あなたは子育てをしている。赤ん坊にミルクをあげながら家事をこなせるだろうか。大半の男性はできるに決まっているとすぐさま答えるだろう。現に僕の妻はそうしているとおっしゃってるあなた。家族会議をした方がいい。いますぐ奥さんに土下座してください。頭で火が起こせるくらい地面をずりずりとこすりながら平身低頭謝れば、これまでのことはその痛みに免じて許してもらえるかもしれない。いやいやもしかしたらぐーぱんを伴って、あなたの歯がなくなった痛みのもと許してもらえるかもしれない。

 

当然のように奥さんたちは僕らでは想像もできないくらいの偉業を平然とこなしている。本日それをちょっとだけ交代して死にそうになりました。はい。本当に申し訳ございませんでした。数々の非礼をお詫び申し上げます。赤ん坊にミルクをあげていて、ああまで泣かれてしまうと正直時間がどんどん無くなって、まったく寝る余裕すらない状態でした。それなのに休まなきゃだめだよとか意味不明なアドバイスをして申し訳ありませんでした。赤ん坊がせっかく寝たのに、毎度のこと起こして申し訳けありませんでした。寝ているときは起こさないようにこれからは注意します。このように相手の立場を経験して初めて学べることがある。そのときの肉体的、精神的苦痛が人を成長に導くのだ。僕らはきっと有史以前から生命の危機を回避する手法として、知能を発達させ生き残った。そのため危機的状況に陥った際の想像力は申し分ないが、そうでない場合の想像力のなんと微々たるものか。僕の生々しい具体例はさておき、人はその立場になって初めてその危機的状況を理解するということがわかってもらえただろう。

 

正論はなにも生み出さない

あなたは自分の正義感のもと、人に対して親身にアドバイスしているつもりなのだろう。場合によっては、正解に導くための道筋を与えていると自負してすらいることだろう。あなたのアドバイスはくそ程に役に立ってはいない。むしろ混乱を招いたり、怒りを沸かせたりしている。あなたは夜道に気を付けた方がいい。あなたの背後は常に狙われている。

 

正論とは一見正しいことを語っているように思うが、正論とは相手のことを考慮していない。まさに理想的な状況が起きた際にはどうすべきという客観的なふわっとした意見に過ぎない。正論は常に後出しじゃんけんのチョキだ。すべての駒が出そろった状態であれやこれやを想像し、未来から過去を推敲している。しかしだ。僕らは現在に生きている。現在から未来を想像するとき、必ずしも手元に持ち駒がなかったりする。そのため推定したり、想像したり、都合が発生する。正論とは都合を無視した強者の理論で、都合を抱えた弱者を救済しない。そして正論は必ずしも正解とは限らない。正しいように聞こえる論理に過ぎない。別の道筋があるかもしれないし、別の正解があるかもしれない。その解答を持っているのは、その難しい立場に立たされている弱者である。弱者にならないと、正解が見えない。

 

そのため弱者諸君は正論を吐くバカ者は無視した方がいい。正論を吐くやつは何が問題なのか理解していない。ふわっと広い範囲の正論をとくやつは常に警戒した方がいい。必ずしもそれが人や時代に求められているものだとは限らない。自分の中を見つめ、自分と同じ立場の仲間と答えを探しに行こう。自分の立場から想像して、最も確実性があり、価値のあると感じた解答が今できる正解だ。それは正論とは全く別物であったとしても、自分たちが導き出したものが最適な解だと考える。

 

繰り返すが、僕らは痛みが伴わないと何も学習しないし、その立場によって都合がある。その都合を伴った立場を理解し、問題に対する解が最も正しく、問題を解決すると考えている。正論を信じてはいけない。

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。