シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

書評 一生忘れられない怖い話の語り方

最近異様にタイミングが良いときがある。人気がある店がガラガラで、入ってしばらくするとあっという間に満席になる。さっきまで1人も居なかったのに、急に思い出したかのように人が並び始める。1人で行く時はそうでもないんだが、嫁さんとセットで出かけると高確率でタイミングが良かったりするから不思議だ。これくらいなら誰しも経験があるだろう。僕もついてるなくらいにしか思って無かった。

 

子供が嫁さんのお腹にいる時、医者におどされて子供にリンパ液がたまっていると言われたことがあった。嫁さんが心配し、仕方がないから、東京の専門病院に行くことになった。このコロナ下なので、あまり気は進まなかったが、子供が心配だからと診察してもらおうとなった。その出発する日の早朝事件が起こる。妻が出血したのだ。すぐさまかかりつけの病院に連れ込み、医師の診断を受けた。切迫流産との診断だった。当然東京での診察はキャンセルになった。子供が大丈夫だから、行きたくなかったのかなとそんな話をしていた。僕は少し寒気がした。あまりにもタイミングが良過ぎた。行ったらコロナに感染していた可能性すらある時期だった。何かに守られたような気がした。

 

子供が無事産まれ、初めて診察に向かう日のこと、その日は雨だった。グズついた天気が続いて、どうやって連れて行こうか思案していた。連れて行く時間になって外に出る。え⁈っと思った。晴れていた。日差しが僕の頬を刺す。こういうこともあるかとその時は思った。病院につき、診察を受ける。僕は途中まで一緒にいたが、子供と嫁さんを預けて車に戻った。コロナの影響で、付き添いは待機をいいわたされた。仕方ないので、車に戻った。雨が降り始める。しとしとと強くなっていた。困った。しばらくして診察が終わり、子供を迎えに行く。病院の屋根があるので、乗せる時は雨の問題はなかった。家に着いたら傘を用意しなくては。家に着いた。晴れていた。流石にタイミングが良すぎて、怖かった。なんのことはない、怖くはないが、タイミングが良過ぎた話だ。

 

実話怪談というジャンル

こうした不思議な体験を人から取材をして集めた怪談を実話怪談という。怖いのは苦手だ。苦手なんだが、好きというちょっと変わった感じ。怖いものみたさの好奇心が勝る場合が多い。以前にも一度怖い話のことを記事にしたが、やはり怖い話というのはどこかリアリティがあって、本当のできごとなのではと感じられるほどおもしろい。つまり取材をしていく中で、物語のクオリティがあがり、実際の話しだからこそ、リアリティがある生きた怪談になるわけだ。

 

怪談にはジャンルが細かくわかれており、実話怪談は取材をして、限りなくリアリティを追求したものをさす。都市伝説と明確に区別されている。都市伝説は体験者が不明で、創作もそのひとつに該当する。オカルトの中に都市伝説、怪談があり体験者への聞き取りが出来るかという点で区別されている。やはり専門的に扱っていると面白い。証言文学の別のアプローチのようだ。怪談は好きだが、ある程度体系化されているのは知らなかった。

 

怪談の歴史、書き方、話し方について言及されている。超-1という、怪談を話す大会が開かれている事実をこのとき初めて知った。一生忘れられない怖い話の語り方の中では、実際の怖い話は取り上げられていないが、怖い話をどのように相手に伝えるべきか、何を伝えると怖いと感じるのかといった技術面を詳細に説明している。怖い話の大まかな体系を知る上では外せないものだろう。

 

世の中には異様に怖い話が得意な人達がいるが、そうした怖い話の語り部がたくさんいることで、都市伝説や怪談というものはひっそりと影の中で成長していくそんな恐ろしさを知ることができた。

 

最後に

知識を得たときに、これまで点として存在していたものが繋がって線になることがある。そのとき非常に面白さを感じるわけだが、まさかオカルト全般が繋がる日がくるとは夢にも思わなかった。なんでも興味をもって色々読み漁っていくことは大事なんだなぁって改めて感じた出来事だった。

 

 

 

 

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。