シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

【書評】『何者かになりたい』そう僕はよく考えるようになった

 

僕は何者にもなれていない。そう感じるようになったのは30代に差し掛かったころだった。仕事はある程度充実していたが、本来望む仕事ではなかった。そのころにはどうして自分がこんなことをやっているのか、僕にふさわしいことがあるんじゃないかって、模索していた。夜遅くまで専門書を読み返し、自分の気持ちを落ち着かせる日々。自分が存在している理由すらわからなくなり、将来に絶望し、連日酒におぼれた。

 

転機が訪れた。異動を伴って大きく、仕事が変わった。今度は望む仕事だった。一生懸命に精一杯頑張った。そのころにはなぜ僕はこんなことをやっているのか、という気持ちはいつの間にか消えていた。周りの進捗状況や、世の中の移り変わりもあまり気にしなくなっていた。本すら読まなくなり、それよりも専門書を読むことや仕事をやることだけを考えていた。仕事に対するアイディアを考え、どうすれば効率的なのか、問題を説明することができるのかと懸命だった。生活リズムも元に戻り、荒れ果てた心は平穏を取り戻した。

 

思えば研究室に所属していた時が、同じ状況だった。僕は研究にのめり込んだ。同じような研究が続けられるなら、ほかはどうだっていいとすら考えていた。この研究において僕を凌駕する存在などありはしない。そう増長するようになってすらいた。そんな優れた学生を教授が卒業させるはずはない。その程度のことにすら気づかないほど、僕はのめり込みやすい性格だったし、思い込みの激しい人間なのだろう。

 

しかしながら、そうした蜜月の時期はそう長くは続かなかったのである。僕の仕事は再び変化した。それに伴って、世の中の動向を確認するようになり、ビジネス書籍を読み漁るようになった、酒を浴びるようになり、眠れなくなった。体調も日々悪くなる一方であった。僕は再び迷っている。このままつまらない仕事を淡々とこなし、日々の糧を得続けることに一体全体何の意味があるのか。再び出ることのできない迷いの森に、いつのまにかとらえられている自分がいた。

 

『何者にかなりたい』はそんな僕の気持ちを察するかのように見つかった本だ。熊代先生ははてなブログで執筆されている方で、僕もたびたび拝見させてもらっていた。そんな先生がまさに今の僕にぴったりの本を書かれていて、正直驚いた。読まずにはいられなかった。

 

何者問題というのは、実はそんなに珍しいものではないようだ。若者がかかることが多く、中年でもかかるものらしい。もちろん僕は後者だ。病かどうかはわからないが、それでもはしかのように流行するものだという。『何者にかなりたい』≒『アイデンティティを獲得したい』と同義だ。この言葉を見て、一気に氷解した。なるほど、確かに僕は仕事が変わるたびにこれまで培ってきた僕のアイデンティティを喪失している。つまりは、失われたアイデンティティを再び取り戻したいから、発生しているものなのだろう。この考えにそっていけば、僕はより整理された形で自分を再獲得できるそんな自信がふつふつとわいてきた。少し気持ちも落ち着いてきた。自分を構成する僕とは何者であるのかを整理し、得意なものを伸ばしていく。そうすることで、再び僕は僕になれる。

 

僕はやはり何かを獲得したいと考えている。これは仕事がうまくいっていないからというのもあるが、いろいろな人の活躍をみるようになり、どうしても歴史に爪痕を残すか何かしらの形で、世の中の役に立ちたい。そう考えるようになった。僕はいまだに何者でもないが、アイデンティティを獲得するためのアイディアを創出していくという羅針盤を得た。これから僕の根本を見つめなおし、やりたいことをやれる生活に変えていきたい。そう僕の心はこの本を読んで決意したのだった。

 

ぜひお試しください。

 

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。