シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

自分が出来たからあなたも出来るはずだ理論をやめろ

謎理論がよく展開されている。自分が出来ることが、他人にも出来るはずだと信じて疑わない理論である。自分はこうやって来た、ああやって来たという自慢話にはじまり、だからあなたも出来るはずだと結ぶ。

 

意味がわからない。何がだからにかかっているのか、論理の飛躍はなはだしい。理由になっていない。そもそも色々な人がいるなかで、自分が出来なくとも誰かが、他人が出来なくとも自分が、みんな出来なくとも文殊の知恵でというのが、組織としての強みであるし、それは社会、家族でも適用される。自分が出来ることを自慢すること事態がナンセンスである。組織の意味を理解していない。自分が無知蒙昧だと、宣伝しているものであるので、即刻やめた方が自分のためだ。周りで聞いているこちらが恥ずかしくなる。

 

母親が息子に対し、なぜ0点を取るのかを問いただすのと同じだ。何が問題なのかわからない人に対して、解き方がわからない人に対して、理由を解き明かすことなく、結果が伴わないことを解き明かそうとするのは、自部自身が問題の解き方をしらないと露呈しているに過ぎない。もしかしたら、トイレを我慢していたのかもしれないし、風邪をひいたのかもしれない。体調が悪かったなど別の問題である可能性すらある。本当に難しかったのであれば、単純に問題の解き方を教えた方が実りがある。結果が伴わない理由など、答えられるはずがないのである。解けない問題を解かせるのは時間の浪費以外の何者でもない。

 

なぜこのような考えに陥ってしまうのか謎である。わりと良く聞くフレーズでもある。何故そんなことしてしまったのとか、なんでそんなこともわからないんだとかである。やってしまった結果を問いただすことに意味はない。発生原因の特定ではなく、謝罪を要求しているなら、かけることばが違う。謝りたまえである。間接的に謝罪を要求するのは、卑怯な行為だ。なぜそんなこともわからないんだという攻めは、会社や上司、先輩の教育が悪いからに他ならない。自分が反省すべきだ。恥の上塗りでしかない。建設的ではない。そうではなくて、どうやったら挽回出来るかと、理想的にはどうするべきだったのかを考えさせた方がいい。また挽回方法は上司も入って積極的に進めるべきだ。本人が1番反省しているし、内心パニックだろう。間違いも減るし、やり方も見せることが出来る。本人の気持ちが上向いて来たらやらせればよい。

 

自分が出来ることは、他人が出来ない方が普通だ。むしろ他の人が出来ないから、存在価値がある。自分が出来ることは、次の人に共有し、他人ができることを教えてもらうべきだ。上司も部下も先輩も後輩も関係なく、分け隔てなくすべての情報を教えてもらうべきだ。

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。