シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

達成が困難なものほど見返りが大きい

何かを得たいと考えた場合、僕らがとるべき手段としては挑戦する以外にない。挑戦というのは言葉にするのは単純明快だが、じゃあどんな条件を満たしていれば挑戦というものに値するのかって必ずなる。

 

挑戦しなければいけない条件としては

①達成可能に限りなく近いもの

②必ず解が見つかるもの

③いま始められるもの

といった部分が重要になる。

 

前提として、進むべき方向性である目的は決めねばならない。目的を達成することを旗印に、①~③の条件を満たしているものを挑戦という。それ以外は無謀だったり、無策だったり、日和見だったりして、挑戦とは言わない。

 

簡単に言うと100万円あったらとか、10万円あったらというのは無策である。それがなくてもできることから始めるべきだ。そんなことは当たり前にしても、例えばどこでもドアを作りだしたいと考えたとする。これははっきりいって無謀である。しかしながら、どこでもドアの定義を今一度考えて、例えば瞬時にものを輸送することをどこでもドアの価値と考えるなら、これは実現できる。3Dプリンターを用いて、データを送付して離れた場所でデータを出力する。こうすれば、輸送コストは抑えられる。これは新しい輸送の考え方と言える。ようは考え方次第である。

 

大まかに①~③に条件が当てはなるように、自分が何をしたいのかを考えるべきだ。自分に言い聞かせている部分もある。どうしても実現したいものっていうのは、自分が持っている最大限のスペックや知識を詰め込みたいものである。自分が持っているツールを最大限うまく利用して、最高のアウトプットを目指しがちだ。

 

しかし、この考えは間違っている。ツールを最大限生かすのは全く意味がない。自分の能力を最大限活かすと言い換えてもいい。世の中の人々はあなたに対して最大限能力を発揮することを期待していない。最大限自分の生活を豊かにすることしか、期待されていないのである。つまり手段を問わない。ツールも知識もどうでもいいから、僕の生活を豊かにしてよってことなんだ。はっきりいうとさぼっていても、遊んでいてもいいから結果を出してくれってこと。

 

大雑把な言い方をしたが、きっと挑戦しようと考えた場合には、総当たりになったり、いろんな不具合に直面したり、資金繰りなどのこんなにぶつかったりするため、さぼることも遊ぶことも基本的にはできないだろう。しかしながら、ツールや手段にこだわることはナンセンスであり、ましてやそれを誰よりもうまく操ることはだれからも期待されていない。ツールや手段をうまく扱うことを求めるなら、職人になったりした方が単純明快だ。ただ、職人になったとしても一流を目指す場合にはやはりツールや手段を最大限生かすことを求められない。感動を与えてもらえれば、手段は問わないのである。

 

僕らは常に自分と戦い、挑戦しなければならない。それは誰のためでもなく自分のためなんだと思う。いまの自分で達成することが困難であればあるほど、達成したやりきった際の見返りは非常にでかい。自分を何段も成長してくれる最高の経験だと思う。なんでもいいから挑戦して、人生を思いっきり謳歌しよう!!

 

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。