シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

出産が始まろうとしている

にわかに妻が慌ただしかった。かしこまった口調でなにやら誰かと会話をしている。朝が来たのかと思い、時計を見る。午前3:43。頭がうまく回らないが、何か起きたようだった。回らない頭で、昨晩の話を思い出す。妊婦検診が呼び水となって、出産する妊婦さんがいるとの話だった。

 

やばい。がばりと起き上がる。何かが起きたに違いなかった。顔に光が当たる。電気がついているようだった。外は異常に暗く、静かだった。世界が寝静まる時間に、まじめそうな女性の話声が鮮明に響いた。緊迫感が跳ね上がる。妻の部屋に入る。妻は女性の方と会話をしているようだった。未だに頭がボーっとしているが、気持ちがはやりはじめる。何が起きているのかをうまく理解出来ないで、無駄にちょろちょろ動き回る。焦るんだが、理解できない。深呼吸をして、冷たい水を飲みに台所に向かう。ぐいとばかりにコップ一杯、二杯と飲み干す。徐々に視界が鮮明になりはじめ、頭が覚醒してくる。そんな僕の無駄な動きとは別に、事態は刻一刻と動いているようだった。どうやら女性との会話が終わったようで、妻が部屋から出てくる。どうかしたのかい?というちょっと間の抜けた質問をした。妻はおろおろした表情で、消え入りそうな声で答える。さっきまでのよそ行きの話し方とは違い、感情のこもった声。水が…。水が止まらない。ぶるりと震える。どうやら破水したようだった。水が出るのが止まらなければ、すぐに病院に来る様にと言われたと。話していたのは、助産師だったようだ。一気に目が冴える。

 

事前に準備していた入院セットを取りに向かう。カバンをぐいとひっぱりだし、持ち上げた。見た目通り重い。大きなボストンバックをひとつ、小さな手提げをひとつ出す。玄関前に置いた。妻の元に駆け寄り、母子手帳は持ったか、入院に必要な書類は持ったか尋ねる。正直尋ねるまでもないのだが。恥ずかしい話、妻以上に焦っていた。

 

ふと自分がパンツ以外、何も身につけていないことに気付く。先ずは服を着なければ。いそいそと服を身に付ける。そこら辺に置いてあるシャツをごそごそと身につけ、ズボンをはく。うん。変わらず僕の着替えは早い。妻の方はなんだかもたもたしている。まだパジャマだ。相変わらず水がという。ひとまず、落ち着かせて、着替えるように促す。間違いなく破水は止まっていないようだった。腹は痛くないようで、陣痛が始まった訳ではないらしい。妻が身支度を済ませ、忘れ物がないのかを確認しはじめる。僕も落ち着きを取り戻し、病院に向かえば良いのかと確認した。

 

すでに37周目を超えていた。予定日がまだ先だったため、油断しきっていた。そこから突然の破水である。前もって、色々準備した甲斐があって必要以上にパニックにはならなかった。それでもかなり焦った。荷物を全て持ち、軽いものだけ持つようにお願いする。バックをひっさげ、階段を駆け降りる。妻はゆっくりゆっくりと一歩一歩確かめるように、こわごわ階段を降りる。暗くて、よけい足元が見えないんだろう。先に車を回しておくと、ゆっくり来る様に伝えた。

 

車のエンジンをかける。病院のルートは、事前に準備していた。というより昨日向かったばかりで、履歴が残っていた。ルートを設定し、目的地を確認する。そうこうしているうちに、妻が助手席に乗り込む。ふうふう言いながら、痛そうに乗り込む。濡れても気にしなくていいから、と事前に断りを入れる。とにかくリラックスするように。

 

車のハンドルを握る。その手がまるで自分のものじゃないかの様な浮遊感。震えた。どきどき緊張しはじめた。僕が産むわけでもないが、運転するのが無性に怖くなった。気を取り直して、車を走らせる。安全運転。ゆっくり、慎重にといい聞かせる。

 

通りを抜け、折れ曲がり、病院へは30分ほどで、到着した。夜は道が分かりにくい。いつも通るより、一層暗く、車線が見にくい。車通りは少なかったが、かなり緊張した。救急外来に到着し、妻が病院に入る。僕は車で留守番。診察を行い、入院の要否を判断するようだ。コロナの影響で付き添いは入れない。やきもきしながら、結果を待つ。時刻は四時半。眠らないように注意し、ガムを噛み始める。数分後連絡が入る。破水で間違いない様だ。荷物を病室近くまで届けなくてはならない。後ろに置いた荷物を肩からかけ、ナースステーションまで向かう。妻とは少し話、破水後24時間から48時間以内に陣痛がある様だった。来なければ、強制的に出産させる様だった。

 

そんな話を聞きながら、少し震えていた。僕が産むわけではないのに、異常に緊張する。これから妻は入院し、出産に向けた準備に入るようだ。偉大だなと感じた。僕は病院をあとにした。