シン・春夏冬広場

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文化という漠然とした概念を数値化する画期的な本 多文化世界

文化の数値化に興味があった。文化というのは相対的にみて、例えば日本人は礼儀正しいとか、アメリカ人は奔放だとかそういった漠然とした感覚的な理解はあるものの、いったいなぜそういった違いが生じるのかは理解されてはいない。

 

文化の違いは後天的に獲得するものだということは、ハーフの人であったり、日本生まれの外国人の芸能人をみると理解できると思う。だけども、文化の違いがどんな因子によって決まってくるのかというのは謎だった。少なくとも僕の中では。

 

社会心理学との出会い

 

 

社会心理学がめざすのは、人間社会の中で起きている人と人、あるいは集団や団体や社会と個人といった組み合わせの中で、そこにどんな法則性があるのか、どんな形で問題がしょうじるのか、あるいは「合理性」ということを考えたときになにか不都合なことはおきていないか、こうしたことを根気よくあきらかにすることである。

 

社会心理学 著者:池田謙一 より引用  

 

これだけみるとよくわからんけども、ようするに社会という枠組みの中で、人間という動物は他の人間とどのように関わるんだっけ?その法則ってなんかあるの?っていう学問だと思う。

 

細かい話で、面倒だと思うが、そもそも人間が社会的動物であるという前提に立っている。社会とはなにかという議論は機会があったら行うとして、僕らは基本的に組織を作りたがる。ミクロ的な集団(例えば家族、学校、会社)からマクロ的な集団(地域とか)まであり、国家やアナーキー(無政府状態:国家間などはこの状態)まですべてひっくるめて社会だ。社会にもいろんな形が状況に応じてあるんだってことだ。社会間の相互作用の中で僕らは生きている

 

社会心理学にはどのようなことを扱ったりするのかっていうと、例えばマスメディアやインターネットがわかりやすい。こうした情報伝達の影響性などを考えたりするのも社会心理学の領分である。社会学に比べていくらかとっつきやすい。この中で特に異彩を放っていたのが、ホフステードの文化の数値化だった。

 

 

多文化世界

 

 

この本は1995年に翻訳された本だが、未だに新鮮だ。かなり内容としては濃いのだが、何度読んでも学びが多い。新鮮さをいつまでも感じるものは、ものごとの本質を捉えているんだと思う。音楽の中ではよくある気がするが、流行り物の音楽は昔聞いたものは今聞くと古く感じるのに対し、クイーンや山下達郎に感じるのはいつ聞いても真新しさを感じるところである。

 

学問の世界でもこうした感覚は珍しくない。ものごとの本質つまり、文化というものにある基本的な問題を明らかにした、法則性を明らかにしたという意味だ。もちろんより研究が進むに連れて、変更があるかもしれない。そのため法則とか原理とかいう言い方は難しいのかもしれない。

 

文化は4つの構成要素からできている。権力格差、男らしさ/女らしさ、集団主義/個人主義、不確実性の回避だ。ホフステード氏はグローバル企業としてしられているIBMの社員にアンケートを行い、こうした指標に基づいて、数値化を行った。それぞれの数値の値そのものに意味があるわけではない。数値間の差を比べることによって、各国の大まかな位置づけがわかる相対評価であるが、画期的だった。文化の違いを数値化して差異を検証できるまでになっている。

 

具体的な数値の差は本書を読んでもらうとして、わずか4つの要素によって文化の違いが現れているのは興味深い。もちろん日照時間や各国の置かれた状況などによってまた若干の修正などは生じると思うが、文化を構成する要素を切り出しただけでも意義がある

 

最後に

僕らは人と関わって生きているわけだけども、その時点で僕らは社会の構成要素になっている。歯車という言い方をする人もいるかもだが、社会を作る上で僕らの1人1人の存在が欠かせない。互いに相互作用することで、社会が動いているからだ。当然マクロな視点に立つと影響力が弱まるため、そうした視点だとたいしたことはないのかもしれないけれど、それでも誰かの感情をゆさぶるようなことを考えることができれば、文化の構成要素の1つに数えられるときも来るかもしれないし、来ないかもしれない。色んな人のブログよく読んでるしね。少なくとも僕の心はみんなの影響を受けている

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。