シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

勉強って何をすると1番わかりみがいいのか

勉強ってなんのためにするんスかね。

 

本を一生懸命読んで、プログラミングとかの本を必死にやっても、役に立ったと実感したことがあんまりないんですよね。これってなんでだろうって。必死こいて取り組んでるはずなのに、一向に何かをできるようになった気がしないし、やった先からどんどん忘れていく。自分の理解力の少なさとか、思慮がたりないのかなぁって悩む時期が結構ありました。

 

学校で学んできたことが確かに役に立ったなぁって実感がもてたことは社会人になってからは少ないような気がしています。

 

とは言え、いまの自分があるのは中学、高校、大学と一生懸命勉強したからこそ、いま考える力があったり、知識があったりしていて、会社で働けてるのも事実なんですよね。微積分だって、英語だって全くやってなければわからないわけです。

 

でもでも本当に役にたったなぁ。あの勉強していたから今の自分があるんだなぁって感じたことって少ないです。考え方だったり、アプローチの仕方だったり、そういった基本的なことが一番役に立っている気がしています。

 

社会人になってから勉強したこと、仕事と関係ある部分に関して学んだことは非常に役に立っている。これは全く関係ない分野に関してもそう感じることが多くて、何が違ったんだろうって、そういうことを考えることが多くなったんです。

 

ものすごく考えました。結構何かを察したり、深くなぜなぜを行うのって、結構苦手なんですよね。そのことにも気づきました。

 

社会人になってから、別の数学の本とかも確かに勉強していて、身につかなかったものも随分あります。むしろこれが将来必要だろうって考えたものや、今学ばないと機会がなくなるってものはかなりの割合で身につきました。

 

これってつまり自分と周りから期待されるアウトプットを明確にするものしか、学べないし、目標を達成するためにアウトプットするものしか身につかないってことなんだと思います。

 

ここに来てようやくそのことに気づいてきました。ブログもその1つです。サーバーの細かい設定は理解できないけど、はてぶの使い方やWordPressの使い方なんかは身につきました。この場合、アウトプットするのは文章だし、それを読んでほしいって自分の目的と、読んでくれる読者がいて初めて成り立ってますよね。逆にサーバーの設定自体は誰かが解いてくれていたら、そちらを拝借させていただくってことが多い気がします。細かい動きはどうでもいいっすもんね。興味はあるけども。

 

すっごい単純な話で、いまとなってはその手の本がいっぱい出てるので、当たり前すぎることなのかもしれないですが、ぼくにとってそのことを気付けて、理解したことは衝撃的でした。

 

この場合ミソになるのは自分と相手がいるってことですね。出す方とそれを受け取る方双方があって初めて成り立っているってことです。でないと、学ぶ機会はあたえられないんじゃないかなぁって思っています。評価されないとモチベーションも続かないし。

 

ただ、アウトプットの精度を高めたり、やることの幅を広げたりって結局インプットの量がものをいうことがあるのも事実で、ある程度インプットが終了したら、必ずなにかアウトプットを考えていくってそういうプロセスが大切なんだなぁって思います。

 

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。