シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

世の中を変えたい時には年寄り

暗いなぁ。根暗だなぁって個人的には自分をそう評価しますよ。まったくもう。世の中に対するぐちバッカ。なよっちいんだからほとほと困っちゃいますよね。気分が落ち込んでる人は読んではダメ。ちょっとだけゆとりがある人が読んで、まぁ困ってるのねって思うだけでいいんですよ。はぁ。それではどーぞ。

 

非常にそういったことを良く考えるようになった。僕は30代後半に当たる。世間では中堅と呼ばれる年齢だと思うし、ここからが大いなる別れ道でもあると考えている。

 

ただ振り返ってみると、僕の人生にはこれぞという出来事が社会人になったとたんにほとんどない。学生の頃は運動部で、大きな大会に出て活躍した。運動をやめ、研究に勤しむ頃には新しい分野の開拓をいくつか出来たと思う。世の中にインパクトを与えるほどではないが、それなりに充実していた。

 

人生は椅子取りゲームに似ている。自分がどの座席を埋められるのか、どの座席が余っているのかを社内、社外含めて常に席の奪い合いをしている。良い座席に座れれば、やりたいことが出来るが、余った座席は割を食うことが多い。

 

そのためいつも目を光らせて座席を見つけないといけないが、大抵面白そうな座席は前任者と言われるただ先にいたと言うだけの愚か者が多い。我が物顔で、選民思想に眼を輝かせて、肩で風を切って歩いている。羨ましいと思うが、能力が低いものはボトムからのスタートであるため、追いつけない。

 

世の中が大きく変わり出して、新しい座席が出来たり、あるはずのないところから座席が湧き出したりすることが、最近多くなった。そうした人々の苦労は知らない。知りはしないものの、そうした人々は若く、情熱に満ちているように思う。かっこいいなと思う。ふかふかで、重厚な椅子を眺めて座りたいなと思う。

 

自分の椅子を眺めてみて、いびつだなと思うが、頑張って磨いてカッコよく作ってきた。しかしながらどういう訳か、評価をされず、その座席を最近取り上げられた。そして椅子の材料を渡され、新しい椅子をつくってそこに座れと言われる。もちろん作り方は指定される。作り方を変えてはいけない。

 

社会人になって最初にやられたことをまた繰り返されたとき、僕は希望を失ったように思う。新しい椅子を自ら作り出せと言われるならまだしも、作り方を指定された椅子ほどつまらないものはない。いつまでこんなことを続ければいいのか正直わからない。いつか自分の思うように椅子を作り出せるようになったとき、果たして僕はかつての情熱を保っていられるだろうか。

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。