シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

自分という物差しの精度が悪いと違和感に気づかない

僕らは何かを認識するときに、環境や他人と自分を比べてみて、何かおかしいと思ったり何かが違うと感じたりしてるんだと思う。 

 

例えばマヨネーズが好きな人にとってはご飯にマヨネーズをかけたり、ありとあらゆるおかずにマヨネーズをかけることは違和感がない。むしろそのままチューチュー吸いたくなるのも別におかしいとは思わない。

 

だけどもいくらなんでも流石にシュークリームにかけるのはやり過ぎだろと感じる人は当然いる。いやいやごはんにかけるのもちょっと、という意見だってある。

 

マヨネーズに練乳、生クリームを入れて酸味を抑えた方が僕は好きなんだが、それは色んな人の尺度であり、価値観だと思う。

 

ここまでふざけた話だと何を伝えたいんだこのタコ助がと思う人は正しい。違和感が正常に機能している。これはだいたい1mとか10mくらい馬鹿でかい差異なので、わかりやすい。

 

しかしながら、例えば女性の給与が上がりにくいとか、女性の会社役員が少ないということに違和感を覚える人は少ない。何故か妊婦の診療が大変なのにも関わらず、保険対象外なのが納得いかないとは思わない。思っていても政治家にきちんと訴えない。表に出てないだけかもしれないけど。

 

お客さんのためなんだから、クライアントのためなんだから、と部下や周りを叱咤、酷使し、巡り巡って会社の人間、部下がサービスや物を購入してくれるお客さんであることに気付かない。

 

夜遅くまで家族がいるのに、飲み歩き、やれ今日は徹夜しましただの、今月は何時間残業しましただの、不幸自慢大会が始まり、そもそも自分が仕事出来ませんとアピールしていることに気付かない。

 

自分という物差ししか僕らは持ち合わせていない。他人の尺度に校正することはできても、最終的には自分の尺度しか利用することが出来ない。他人の尺度で決められたものは、本当の意味で理解することは出来ない。

 

なので、自分の自分だけの尺度は常に磨く必要があるし、それこそが最も価値あるもの、アイデンティティとかオリジナリティだと思う。自分が生まれてきた意味だといいかえてもいい。世界は君だけのオリジナルの尺度を必要としてくれているんだと思う。

 

じゃあどうすりゃいいのよってことだけど、やっぱり自分に素直になった方がいいと思う。わがままをいったり、自己中になれって訳じゃない。本当に自分にとって大切なことを守れってことだと思う。本当に自分にとってやりたいことをやりなさいって意味だと思う。

 

家族だったり、思想だったり、理想だったり、作りたいものだったり、とにかく自分がやりたいこと、叶えたいことに本気で向き合うことこそが、自分の尺度になっていくんだと思う。それ以外はただの校正作業なんだと思う。

 

と言いつつ、上司に連絡するのにぶるっちゃったり、怒られたく無いなとか、へこへこする自分に嫌悪感を覚える訳だけど、変われるように頑張ってみるよ。本とかって伝えなきゃいけない部分を全部カットするのはいいけど、あんなに俺ってできますぜってだけアピールする非人間みたいな人達ばっかなんだろうか。連邦のモビルスーツは化け物かってくらい完璧超人みたいなPRばっかしてるけど、部屋が汚かったり、きっとなんかやってないぜ。

 

 

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。